苺畑でつかまえて

カツ&サリー、闘いの記録

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カツブログ-21/最近のぼやき-1


この手紙を書いてる間にも色んな出来事が有った。
2011年の今は地震と津波と原発の事故の被災者の事が連日TVで流れてる。

一瞬でそれまでの生活が一変した被災者の人達は気の毒だと思うけど、俺と妻もそれは同じだ。今回の地震が原因で障害者になった人達や元々障害があった人達は本当の本当に気の毒だ。帰る家を失った上に身体も不自由になって本当の意味で生活が一変したと言える。

元々障害があって寝たきりの人達の中には避難場所の床に寝かされてる人までいて可哀想に。そんな寝たきりの人達は避難所にはどうせ数える程しかいないし、非常事態なんだから、国で病院を用意してやれよ。せめてベッドぐらい用意してやれば良いのに、突然、床で寝かされるなんて可哀想過ぎるよ。


震災の事を連日TVでやってるのに伴ってACのCMもやってるが、「優しく声を掛ければ優しく応えてくれる」と言ってるけど、俺が声掛けても「えっ ? 」って言われるだけだ。
「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」と言ってるけど、目の不自由な人には見えない。と言うと「心の目で見える」なんて新興宗教みたいな事を言うヤツが絶対いそう。


それから「ニチイのホームヘルパー2級講座」のCMで、ホームヘルパーになったキッカケは「父の入院でした」や「人の役に立ちたかった」と言うのは何の問題も無いんだけど、「就活に有利だと思って」と言うのは何かムカつく。
そう言うヤツは資格があってもどうせヘルパーには成らないと思うけどそんなヤツにヘルパーに成られて迷惑するのはコッチだ。ニチイも商売なんだろうが下らない事を煽らないで欲しいよ。





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カツブログ-20/もしも


音楽番組を見てたら何かのバンドが出てて、ストラトとかレスポールを弾いてるバンドが相変わらず多くて、「俺もああ言う楽なギターだったらもっと上手く弾けたのになぁ」と思ったが、俺がストラトやレスポール等の楽なギターを弾いてて、別にマニアックじゃないヤツだったら妻と知り合わなかったと思うし、M本とも仲良くなってなかったと思う。

あの大分のライヴハウスの楽屋に置いていた俺のギターの隣にM本が自分のテレキャス・カスタムを並べて置いてたのが仲良くなったキッカケだけど、あの時、俺のギターがVOXじゃなくストラトやレスポール、ヤマハのどうでもいいギターだったらM本も隣に並べなかったんじゃないかと思う。

もしも俺がマニアックじゃないヤツだったら妻やM本と知り合ってなかっただけじゃなく、俺の人生も大きく違ってただろうと思う。

散々、ヴインテージ・ギターにこだわってきたが、今思えばリイッシューで沢山だった様な気がする。確かに古いギターは良い音がするが、古いだけに故障も多くメンテが必要だ。大抵の故障やメンテは俺が自分でやってたし、元々、いじくるのが好きだったから良かったけど、そんな時間を曲作りとかに充ててもっと真面目に音楽に取り組んでた方が良かったんじゃないかとも思う。
それに憧れのミュージシャン達はヴィンテージ・ギターを弾いてた訳じゃなく、当時の新品を弾いてたんだからそう言う意味でもリイッシューの方が良かったんじゃないかと思う。


今回は免許証の更新が出来なかった。前回までは特に何の御咎めも無かったのに、今回は「発病から何年も経ってるのに何の条件も無しに更新する訳にはいかない」と言われて、ゲーセンのゲーム機みたいなシミュレーターに乗ったりバイクに跨がったりしたが結局ダメだった。

要するに障害者は乗るなと言う事らしい。俺にしてみれば音楽もバイクも強制的に取り上げられ、今度は体制に免許証を強制的に取り上げられたと言う事だ。

俺から何から何まで取り上げやがる !

側車限定とかの条件付きで更新出来た人もいるのに、何故、俺は更新出来なかったのか ? それはしっかりした法整備が出来てないから、その時々の係官のサジ加減で更新出来たり出来なかったりする。つまり今回は運が悪かったと言う事。逆に言えば今までが運が良かったと言える。しかしサジ加減だなんて一番納得出来ないなぁ・・・。

免許証が無くてもバイクは残るから無免許で乗ってやろうと思ってる。それで白バイに捕まったら、捕まえた白バイ警官に期限切れの古い免許証を見せて、こうなった経緯を説明して「だから捕まえなかった事にした方がアンタの為だよ」って言ってやる。

どうせ素直に引き下がらないだろうから「俺は今後も無免許運転するよ ! 何度でも何度でも障害者を捕まえて罰金獲れば良いじゃん ! 障害者団体みたいな所からマスコミにリークすればその内に大ごとになるよ ! そしたらアンタの名前も公表されるから覚悟しといた方が良い !」って言ってやるんだ。

と、そんなシナリオを考えてたけど、どうせ免許証が有ったところでこのバイクにはもう一生乗れないだろうなぁ。だからバイク王を呼んで売っ払うか、たまにエンジンをかけて音だけ聴いて楽しむかで迷ってる。このまま朽ち果てて行くだけと言うのも忍びないが、見知らぬ他人の手に渡るのもなぁ・・・。






カツブログ-19/差別


色鉛筆、クレヨン、絵の具等の、俺たちが知ってる肌色は現在では肌色と呼ばないそうだ。黒い肌の人もいるからアノ色を肌色と呼んでしまうと差別に繋がるかららしい。現在は様々な差別用語に敏感になっている様で、「障害者」も表記する時は「障がい者」と表記するそうだ。「「障害者」は「」なのか?」という配慮かららしいが、俺にとってこの状態は充分に害だけど・・・。

以前、アート引っ越しセンターのCMで、車椅子の人も簡単に運べますとやってたけど、俺はそのCMを見る度に何かイヤな気持になってて「まるで荷物みたいだな。あぁ ! そうか ! お荷物と言う事か ! 」って思っていた。多分、俺と同じ様に思う人が抗議したんだと思う。そのCMは短命だった。

反町隆史の主演ドラマ「ロト6で3億2千万円当てた男」って言うのがあったんだけど、タイトル通りのドラマ展開で一度は大金をつかんだ主人公が最終回ではスッカラカンになって言うセリフが「最初から何も無かったと思えば良いんだ。何もマイナスから再スタートする訳じゃない。ゼロから再スタートするだけなんだから」にはショックだった。「俺はまさにマイナスからだなぁ」と思った。

それから障害者によく使われる言葉で「社会参加」とか「社会復帰」と言うのがあるが、俺はこの言葉が大っ嫌い。刑務所に入ってる囚人じゃあるまいしと思う。それこそ差別されてる気になる。それに元々社会に参加する様な生き方して来なかったから「社会に復帰なんかするもんか ! 」と思ってしまう。

柔道の谷 亮子が産休で休んでて復帰した時は「社会復帰」とは言わない。「現場復帰」と言ってた。障害者にもこの言い方すれば良いのにといつも思う。




カツブログ-18/可哀想な俺の◯◯◯


もう少し正直に話すと、もう7年以上勃起しない。
普通なら「最近、反応が鈍いんだよねぇ」と、年齢と共に段々自覚して行くんだと思うんだけど、俺の場合は昨日まではカッチカチ過ぎて痛い程だったのに今日から突然のフニャ以来7年以上フニャ

昼間は安楽尿器を付けてるし、就寝時はユリドームを付けているから、触る機会が以前と比べて極端に少ないので、毎朝、トイレに行く度努めて触る様にしてる。触れば反応するが勃起には至らない。何だか自分のじゃない感じ。トイレで触ると凄く冷たくなってて我ながら可哀想になる。「以前はあんなに重宝がられたのに、今はこんなに放ったらかされて」と思う。

俺は幼少の時から独り遊びを一日たりとも欠かした事がない。かなりゴイスな事もしてたから、それだけ触れる機会も多かったし、性欲も強かった。
フニャは血圧を下げる薬の副作用が主な原因と思われる。確かに命の為には血圧を下げる事は大切だけど、男としてはどうなんだろう?あれだけ毎日仲良しだったのに・・・

勃起しなくても性欲は以前と全く変わらないので、年老いてエロジジィになるのは間違い無い。
現在、股の下のポニョは単に排泄器官としてだけ存在する。

浮気しない事を前提にすれば世の男性は結婚して新婚生活が終わった時点でそのお役目も終わってるのかもしれない。子供が出来たら尚更だ。オス猫は本来はいつでもOKなんだけど、メス猫が発情してフェロモンを出さないとオス猫はOKにならない様に進化したらしい。
考えてみれば人間の既婚男性もそう手なずけられていると思う。妻の性欲に左右されるからだ。

勃起する様になった所でこんな身体じゃ絶対に浮気なんて出来やしないし、使い道も無い。
こう言うと「浮気したいのか?」と、訊かれそうだけど、別に浮気したい訳じゃない。
「しない」と「出来ない」では意味が全然違う。現在の俺には「出来る」けど「しない」なんてそんな選択肢は無い。「出来ない」事だけだ。

この勃起の事だけじゃなく、老眼の事やその他の事も普通の40代はどう変わるのか俺は知らない。
老化の事が判らないから余計にいつまでも若い気でいる。つまりコレは病気のせいなのか老化のせいなのか自分では判らないのだ。





カツブログ-17/妖怪人間


先日、久々にハンブルパイのストリートラッツと言うアルバムを聴いた。ビートルズのカバーも演っていて、初めて聴いた時はアレンジし過ぎだと感じたのに今聴くとそうでもない。

俺の聴く耳も良くなったのかと思ったが、現在はただ単にリスナーの耳だと気がついた。それとまだあった。「ヘイル ! ヘイル ! ロックンロール」を見てて「以前、俺の周りはこの映画の中に出てくるセリフの意味が分かる連中ばかりだったのになぁ」と思った。「ヘイル ! ヘイル ! ロックンロール」を普通の人が見ても何を言ってるのかチンプンカンプンだと思う。音楽の話は妻とたまにするだけで俺の現在の環境では音楽の話なんて出来るヤツがいない。以前はアレ程毎日が音楽三昧だったのに・・・。

リハビリ病院にはK.JとK.Bばかりで「これが現在の俺の仲間か」と、思ったらうんざりする。
「皆俺の両親の年齢くらいかなぁ?」と、思っていたがとんでもなかった。皆俺の祖父母の年齢だ。実際には俺に祖父母は生まれ付きいないけど。リハビリの先生達は俺の子供くらいの年齢だから、K.J、K.B達にしてみればひ孫に教わっているようなもんである。いずれは俺も年寄りになるのは分かってるけど、まだまだ仲間にはなりたくない

こんな状況で誰が「ヘイル ! ヘイル ! ロックンロール」を知ってるのか・・・。
キースと同じインド綿のスカーフをしてても「あっ!キースと同じだ!」とは誰にも言われない。
 

リハビリ病院には俺みたいな脳の病気の人だけで無く、単に足腰が弱っただけの高齢者も多くいて、そんな人達も一緒にリハビリするから余計にK.JやK.Bが多くなる。本当は病気の人達と足腰が弱っただけの人達を分けるべきだと思うのだがそこまで法整備されてないのが現状だ。

単に足腰が弱っただけで、難なくスイスイ歩いてる高齢者を見掛けると何だかムカつく。「あなたの何処が悪いの ! 」って言いたくなる。そう言う人とか「惚けてる人は何のリハビリをするんだろう ? 」といつも思ってしまう。「ここはリハビリ病院だよ ! 」って。

その事を妻に話したら「ここに入院してる人は自分で望んだ人だけじゃなく、家族に無理矢理入れられた人もいる」と言われた。つまり面倒臭くなった家族が放棄したのだ。確かにそう言う家族は多い。自分の親なのに家族間でたらい回しする。そのくせ遺産はしっかり取る。

リハビリの日はパー車ごと乗れる介護タクシーで病院に行くんだけど、俺を乗せた介護タクシーが病院に到着して病院の出入り口からK.JやK.Bが出てくるといつも「やれやれ」と呟いてしまう。

基本的にリハビリ病院と言う所は俺みたいにぶっ壊れた人間の溜まり場って感じで、足が無い人、首が曲がってる人、凄く小さい人、見た目では判らなくてもいわゆるクルクルパーみたいな人、その他にも沢山いる。

入院患者の孫とかひ孫連れの家族が多く見舞いに来るんだけど、俺はこの子供達が嫌いだ。何でかって言うと、いっつもジィーっと見るから。子供にしてみればここは「お化け屋敷」だ。俺もそのお化けの一人なんだろうな。俺は妖怪人間。ここはリハビリ病院だからマズいないけど、女子医大の脳外科の病棟には頭の皮をホッチキスで留めたホンモノのフランケンみたいなのがゴロゴロいて、本当に「お化け屋敷」みたいだった。当然、子供連れの家族が多かった。父親にすれば無料の「お化け屋敷」だもんなぁ。お見舞いと家族サービスが一度に出来て大助かりじゃないの。ダータだし。子供にしてみれば、祖父母に会えてお化けにも会えるんだからオモローなんじゃない。そう言う事を考慮してか、してないか判らないけど、子供連れ禁止の病院も在る。

しかし、我ながら実にイヤミっぽい。






カツブログ-16/実情


妻は俺がギターを弾いて唄うと純粋に喜ぶ。だから妻の為にも音楽を続けたかったし、歳をとっても相変わらずギター弾いてるんだろうなぁと漠然と思っていた。バイクの後ろに妻を乗せて行きたい所がまだまだ沢山有ったし、年老いて乗れなくなる日も来るんだろうなぁとは思っていたが、こんなに早くそうなるとは思ってなかった

ギターやバイクだけではなく、現在では何から何まで元々出来た事で同じように出来る事が一つもない。全て助けて貰わないとまともに出来ないのだ。

だから今まではテレビを見ながら色んな事をしてたんだなぁとつくづく思う。例えば頭を掻いたり、鼻をほじったり、手の皮を剥いたり、タバコを吸ったり、そういう事を妻に頼みたくても妻だってテレビを見ているのだから頼めない。だからタバコは1時間毎にしている。番組と番組の間のCM中に吸わせてもらう様にしてる。本来はヘビースモーカーだから20分毎に吸っていた。だから健康の為にも1時間毎は正解である。吸わないのが一番良いんだけど、それは無理。どんなに値上がりしても止められない。値上げくらいで止められるなら誰も苦労しない

半田ごてを駆使してギターの修理等、大抵の事は自分でやっていた器用だった俺が、現在ではドライバー1本回せないのだ。アレほど器用だった俺がだ

何故、手紙(長文)でこんな話をするのかと言うと、緊急連絡先の友人代表にM本(友人の名前)がなっているので、少しでも実情を知っといてもらった方が良いと思ったからだ。なので、もしもの時には宜しく頼む。もしもの時には誰かから電話が行くと思う。その時には久々に会うわけだが、くれぐれも驚かないで欲しい。そこにはM本が知ってる昔の俺はもういない(画像の通り)。俺の言葉も通じないと思う。俺との会話には想像力が必要だ。例えば俺が「ボ・リロリー」と言ったら「ボ・ディドリー」の事だと判断しなきゃいけない。

島田紳介(勿論、引退前)の番組のゲストが具志堅用高(2011年の最近はTVに頻繁に出てるが、この頃はまだ珍しかった)だった時に言ってたんだけど、具志堅は無口な人と思われてるが、本当の具志堅は実は「おしゃべり」なんだそうだ。だけど「訛り」が酷くて相手にいつも「えっ?」と言われていたそうで、「えっ?」も2回言われると「自分の言葉は通じない」と思ってしまい無口になったそうだ。俺も殆ど同じ理由で、妻以外の他人とはマズ話さない。だから信じられない事に、俺は無口で、もの静かな人だと思われている。

他人との会話も俺の言葉を妻に言って妻に話してもらう。つまり通訳だ。これも外人みたいだ。

それに一生懸命に話そうとするとヨダレが垂れる。以前は車椅子の人が不潔に見えたが、その理由が分かった。

言葉の問題だけじゃなく、以前に比べると何でもだいぶ不潔になったと思う。例えば食事の後等にティッシュで口を拭うのは現在の俺には大変な事だ。だから「拭かなくていいや ! 」ってなってしまう事が多い。なにせ、鼻もかめなきゃ手も洗えないんだから

以前は少しの鼻水でもティッシュで拭いていたが、現在は着てる物の袖で拭く事が多い。昔の人みたいだ。手も流水で洗わないと手の皮がポロポロ剥けて仕方ない。俺が流水で手が洗えるのは入浴の時のみで、普段は「手ぴかジェル」等の殺菌アルコールで拭く。それも正確に言うと妻に拭いてもらっているだけ




カツブログ-15/ソックリさん


一番最初は何が自分に起きているのか判らなかったし、マジに悪い夢でも見ているのかと思ってたけど、目覚めるといつも広尾病院のベッドで、「これは現実なんだ。だけど何で俺なんだ」と思った。それこそ「聞いてないよ~」である。あと2週間で40歳になり、区でやってる40歳から無料の健康診断を受けるはずだった。俺がもう少し早生まれで40歳から無料の健康診断を受けてたら、恐らくこうはなってなかったんじゃないかと思うが、全て後の祭りである。今さら言っても仕方ない。

俺がこうなってからTVで急に病気物の番組が流行始めた。「流行るのがもう少し早ければ良かったのに」っていつも思う。「そのまま放っておくと、とんでもない事になりますよ」なんて、もうなってまぁーす。なってからじゃ遅いっちゅーの。

バンドをやったりバイクに乗ったりした昔の俺は現在の俺のソックリさんだと思っている。そんなソックリさんと結婚した妻は本当に気の毒だ。こんな事になるとは思ってなかっただろうな。俺だってこうなるとは想像もしてなかった。まさに想定外だ。

この状態を簡単に受け入る事なんて出来ない。発病から7年以上経った今でも完全には受け入れられない。普段は下ネタばっかり言ってる三枚目な俺だけど、俺の中の二の線の部分がどうしても現在のカッコ悪い自分を受け入れ無いのだ。現在の俺は、俺じゃないとばかりに・・・

俺がこんな身体になったのは、20代、30代、ダラダラ遊び過ぎたのが原因だと思う。特に30代は20代の延長と思っていたのか、食べる事も飲む事も、生活そのものも20代と何ら変わる事は無かった。それに俺は常に俺より若いヤツとばかり遊んでいて、30代後半の時も飲食は20代のヤツと変わらずに、同じ物を同じ量食べていた。

ライヴの打ち上げの時等に飲み放題の店を見つけちゃ「本当に飲み放題 ? 俺たち本当に飲むんだけど」と、ちゃんと断ったのに、飲み始めて暫くおかわりをくり返していると店員がすっ飛んで来て「もう勘弁して下さい!こんなに飲むとは思わなかった」と、こんな「飲み放題潰し」を30代でもやっていた。

こんな暴飲暴食は精々20代前半迄だと思う。昔から実年齢よりいつも10歳は若く見られるからいい気になってたけど実年齢を自覚してもう少し体調管理しとけば良かった。自業自得だ。考えてみれば周りの友人知人達は皆30歳で見切りを付けていた。ちゃんと幕引きしてた。何も変わらなかったのは俺だけだ。ヤリ過ぎた。とても誇れる人生とは言えない。39歳のあの日、こんな形ででも強制的に終わらせられなかったら、その頃の俺が自分の年齢を自覚して真面目にやってたとは到底考えられないから、結婚したと言うのに相変わらずバンドマン気取りで適当にやってたんだろうと思う。

いわゆる「モテ期」が 27歳の時からだったと言うのも影響してるのは間違い無い。
20代の終わりに良い思いしてそれで終われば良かったのだが、それで満足しないのが俺で、「夢よもう一度」とばかりに30代も20代と全く変わらない生活をしてた。バカである。もう少しいわゆる世間体と言うヤツがあっても良かったんじゃないかと今にして思う。太宰 治の「人間失格」じゃないけど「恥の多い生涯」そのものである。そんな享楽の毎日ももう終わりだ。


でも真面目にやってたら恐らくもっと早くに他の誰かと結婚してただろうから妻とは出会ってないと思う。上手くいかないものである。妻と結婚する前の30代の俺はどうかしてたのかもしれない。本当に少しおかしかったのかも。



カツブログ-14/フルチン(素っ裸)


パー車なんて俺には一生縁が無いと思っていた。でも、そのパー車だって最初から乗れた訳では無い。

一番最初の広尾病院には車椅子には乗れないと言われた。つまり寝たきりって事。広尾病院では、看護婦さん5~6人の手を借りて、大騒ぎの末にやっとの事で乗れた。毎回「こんなバカ者一人の為に皆さんの手を煩わせて申し訳ない」と言っていた。「言っていた」とは言っても、俺の言葉は通じないので妻に代わりに言ってもらっていた。せっかく乗せてもらっても、今度は真っ直ぐには座ってられずに身体が傾いてしまうのだ。その為クッション等を身体とパー車の間に挟む。今は真っ直ぐ座れる様になったのでクッションは要らなくなったし、妻1人の手を借りるだけで乗れるけど。

風呂は、基本的に家では妻に身体を洗ってもらってる。着替えたりシャワーキャリーへの乗り換えも妻にやってもらってるが、入院時は看護婦さん達等にも手伝ってもらってる。って言うか手伝わさせてあげてる。本当は何でもかんでも妻が一人で出来るのだが、看護婦さん達等に俺の「入浴介助」しましたと言わせてあげる為だ。

だけど俺としては本当は、生まれた時から家に風呂が有ったので銭湯に行った事もなく、人前でフルチンになる事に慣れてない。入浴なんて凄くプライベートな事だと思っていたのに、そんな俺が今まで一体何人にフルチンを見られただろう。AV男優じゃあるまいし。それだけでも俺にとっては大変な屈辱である。

相手はプロだから意識なんかしないんだろうけど、俺は未だに意識する。だから「オバサン」の看護婦さんが理想的だ。「オバサン」は「男」でも「女」でも無く「オバサン」と言う一つの存在なので、俺の意識が和らぐ。熟女好きには逆なんだろうけど。

病気なんだから仕方ないとは言え、ウンコもオシッコも見られて、そう言うプレーならまだしも、俺にはプライバシーなんて無い。赤ん坊の時ならともかく、この歳で母親にユリドームをチンポに付けてもらわなければならないなんて・・・・。成人した自分が母親にチンポを見られるなんて考えられるかい?母親だって俺が幼少の時のしか記憶にないはずで、現在のを見てビックリしたんじゃないか。


カツブログ-13/これからの10代


病気が病気なだけに何処の病院に行ってもK.JとK.Bばっかりで、俺より若いヤツはリハビリの先生と看護士にいるくらいで、若い患者は非常に少ない。が、全くいない訳じゃない。東リハにもいたし、柳原リハにもいた。

俺が東リハに最初に入院した2003年11月28日~2004年3月17日、当時16歳の少年がいた。彼は「名探偵コナン」が好きだったから、TV等でコナンを見掛けると思い出す。当時16歳だから生きてれば現在22~23歳のはず。彼は交通事故に遭い、事故そのものは大した事なかったのだが念のため脳を調べたら腫瘍が見付かった。腫瘍を放っとくと長くは生きられないため、腫瘍を取り除く手術をするのだが、その手術の際に何かの神経を傷付けてしまい、身体の左側が麻痺してしまった。だから当然、左手も左足も動かない。嚥下も良く無いので「ミキサー食」と言う、例えばその日の夕食のおかずが魚フライとポテトサラダだったとしてそれを全部ミキサーで液体にした物を食べてると言うより飲んでる。まるで青汁みたいだ。

ゴハンも白い液体で「これは魚フライとポテトサラダだよ」と言われても、2つの食品が混ざったただの茶色い液体だ。口の中で混ざるのとは偉い違いだ。これはもはや食べ物ではなくゲロみたいだ。バツゲームじゃ無いんだからと思う。年齢相応にマクドナルドを食べたら上顎にくっ付いてしまったそうだ。可哀想にまだ十代だぜ。食べ盛りなのにこんな制限があって、恋愛も色んな事もこれからだし、色んな可能性があったのに全て終わりだ。彼は脳の「やる気」が出る箇所がやられてるらしい。だからリハビリも一生懸命やらず、成果も出にくい

今にしてみれば脳腫瘍で長生き出来なくても、不自由な身体になるよりは良かったんじゃないかと俺には思える。少なくとも食べたいものが食べられた


女子医大で2007年7月13日に手術して、東リハに2007年9月8日に50日間だけ再入院して、次に2007年11月30日に入院した柳原リハで知り合ったのは15歳の少年で現在は19歳。彼の場合は既に入学するはずだった高校も決まっていた中三の春休み中に遭った交通事故で身体の左側が麻痺した。それ以上に極め付きなのは高次機能障害と言う障害。自覚が無いクルクルパーと違って彼は自覚している。最近、何かブツブツ言ってる事が多いけど、基本的に記憶が出来ないらしくその日の昼食や一週間前の事は忘れてる事が多い。(認知症とは違う)

なので一年遅れで入学出来た高校は障害児学校。ついこないだまで通っていたが先日卒業した。次は作業所に行ってパソコンで名刺等を作る仕事をするらしい。彼は一人暮らししたがってるが母親が反対してる。一人で暮らしたい彼の気持も、それに反対する母親の気持ちも俺には分かる。

彼は、ビックリする事に俺を「オッサン」と呼ぶし妻を「オバン」と呼ぶ。
以前、エレファント・カシマシが出演してる缶コーヒーのCMに流れる曲の歌詞が「♪オッサ~ン♪」で驚いた。若手のバンドだとは思ってなかったがエレファント・カシマシがオッサンと呼ばれるにはまだ早いと思ってた。が、考えてみれば彼らも40代でもうとっくにオッサンなんだよな。

だから俺もオッサンと呼ばれて最初は凄く抵抗があったが、自分が10代の時に40代の人は充分にオジサン・オバサンだったしと思う事にした。が、完全に抵抗が無くなった訳じゃない。年齢的にはそうでも、自分的にはまだオジサンと自覚してないからだ。それに俺が「オッサン」って呼ばれてる事に皆が驚くはずだ。

彼は10代の時に病院等でチヤホヤされて来たせいか、お母さんに「ババア死ね」と平気で言う。彼も来年は20歳だ。俺もその年頃はそうだったかなぁ ? と遡って考えてみたが、その頃は流石にそんな酷い事は言ってなかった。彼もいつまでも10代じゃあないんだから、と思う。アシダマナだってチヤホヤされるのは子役の今だけで、行く末は杉田かおるだ



カツブログ-12/リハビリ病院に再入院

手術が最新医療なだけに医療関係者と「この手術後は「回復期」(六ヶ月間)に当てはまるのでは?」と妻が言って議論になったそうで、スッタモンダの挙げ句(妻が東リハに掛け合った)、2007年9月8日に俺はまた東リハに入院する事になった。でも東リハは最新医療には懐疑的でおまけに制度を重んじるので、本来はもうとっくにリハビリ病院には入院出来ない「慢性期」の俺は今回は50日間だけの入院となった。

リハビリだけならわざわざ入院する事は無いと思うのだが、入院して入院患者にならないと毎日のリハビリを受けられない。これも制度 ! だから俺は仕方なく入院する。リハビリを毎日受ける為だけの入院生活。リハビリの為に見たいTV番組も見れないし酒も飲めない。

ここでも妻はAM06:30に起きてAM07:00の朝食に間に合うように来て消灯時刻のPM09:00までいてもらった。取りあえず入院中は毎日、手(O.T)、足(P.T)、会話(S.T)のリハビリがある。だけど残念ながら入院期間が短かった為か、東リハではコレと言った成果がなかった。50日が過ぎると退院。(2007年11月6日 何故か俺の誕生日)今回は通い(外来)リハビリ無し。

まだ「回復期」の六ヶ月間に達していないので、次は「金八先生」の撮影現場にもなった足立区柳原にある柳原リハビリ病院に2007年11月30日から三ヶ月半入院した。東リハより大分小さい病院なので、最初は格下の病院だと思ったが実は東リハより格段に良い病院だった。

今の所、この病院が最高峰。


ここでも妻はAM06:30に起きてAM08:00の朝食に間に合う様に来てくれた。消灯時刻のPM09:00までいてくれた。本来は看護婦さんがやる事も妻がやってた(実際、妻の方が上手い)ので、人手が足りない看護婦さん達は妻を重宝がってたと思う。俺も毎回違う看護婦さんに説明するのが面倒だし全て何でも妻にやってもらった方が安心する。(せっかく一人の看護婦さんに説明しても他の看護婦さんには伝わってない事が多くて、また一から説明するのが凄く面倒。滑舌が悪いから通じないし)

朝食が済むと薬を飲むのだが、落っことして一個紛失してしまった事があって、看護婦さん達が電話帳みたいな薬の本を引っ張り出して来て紛失した薬はどれなのか調べ始め、一個無くなっただけの事で凄い大騒ぎになった。「良いか一個ぐらい」と言った水野病院の看護婦とは大違いだ

柳原リハビリ病院も最初はやっぱり最新医療には懐疑的で「歩行訓練までの回復は無理だろう」と言われた。東リハの時は成果を残せなかったが、柳原リハではメキメキ良くなっていって歩行訓練してる姿を見て、院長も最新医療の成果を認めざるを得ない感じになった。

その結果、もう2008年3月14日にとっくに退院したのに2011年の現在でも通い(外来)でリハビリしてる。こんなに長くリハビリ病院に通えるのは非常に稀な事で普通は在り得ない。


でも一つ困った事にこの病院の医師達は皆白衣を着てない。通い(外来)で病院に行くとリハビリ前に必ず医師の診察を受けねばならないのだが、診察と言っても血圧と脈拍を計るだけ。(だから別に医師である必要は無いと思うんだけど、これも制度 ! ) 一人K.Jの医師がいて、患者のK.JやK.B達に混ざって体操なんかをやってると余りにも自然で、どっちが医師で患者なのか区別がつかない。だから俺は患者先生と名付けている。この医師が俺を診察するのだが、病院に着いた途端毎回毎回急がされる。コッチは着いたばっかりでまだ診察券も出してないのに、顔を見た途端に「はいっ ! ◯◯さん」(俺の本名)って呼ばれる。それにマニュアルの血圧計で血圧を計ろうとして聴診器を俺の腕にあてがうが、ジジイの為か耳が遠いらしく「聞こえないなぁ」と言って電動の血圧計で計り直す。それもいつも。
毎回毎回いっつもだ!
最初っから電動で計れっつーの !

おまけにこのジジイ、「体調はどう ?」なんて遥かに若い俺に訊いてきやがる。
「あんたの方こそ大丈夫なのかよ ? ジイサン 」っていつも思う。やっばり医師の白衣は大切だ。こんなジジイでも白衣さえ着てれば「体調はどう ?」と同じ事を訊かれてもベテランの医師の先生に訊かれたんだからと素直に思えるのに、白衣を着てないジジイ医師はただのジジイだ ! このジジイが休みの時には他の医師が血圧や心拍数を計るんだけど、そんな時は決まって数値が正常。俺の身体は正直で、ジジイが計ると高い。俺が何にムカつくのか ? こいつがジジイだからだ。だってどう見たって逆だろう。「何で遥かに若い俺がジイさんに「体調はどう ?」なんて訊かれなきゃなんないんだ。俺と代われよ ! 」っていつも思う。
だから最近はB.Jと呼んでるがブラック・ジャックの事ではない。

それから何処の病院でも近所に薬店が必ず在るのだが、この病院にも真ん前に在る。でも面白い事に、生理用品は一切置いてない。なのに大人用の紙オムツは何種類も置いてる。「ああ ! そうか ! サスガっすねぇ ! 」である。




カツブログ-11/手術


そして女子医大で行っている最新医療「ITB治療」を受ける事にした。

受ける事にしたと言ってもそんなに簡単に誰でも受けられる訳では無い。最初は診察を受けて投薬から始める。
その薬が身体に合ってる事が確認されたら「検査入院」の手続きだ。ここまで来るのにも一年弱。「検査入院」の手続きしてから実際に入院するまで更に一年以上

入院すると凄く痛い注射を脊髄の周りの髄腔と言う所にされる。俺は2回しただけで済んだが(内1回は余りにも痛いので局所麻酔した)白血病の人は何度も何度もこの痛い注射をしなきゃなんない。凄く痛いこの注射を。気の毒に・・・。

「検査入院」自体は二泊三日だったけど、俺はこの間に熱中症みたいになってしまい(あるいは本当に熱中症だったのかも)食欲が無くなり、夜は暑くて暑くて汗ビッショリで眠れず寝不足になった。おかげで凄い体調不良で早く家に帰りたかった。なので俺には長い長い二泊三日だった。実際に家に帰ってからも暫く食欲不振が続いた。俺が食欲が湧かないなんて余程の事だ

この注射の薬液が身体に合ってる事が確認されるといよいよ手術の日程だ。検査入院から二ヶ月後の2007年7月13日に手術する事が決定。

手術なんて初めてだから何だか怖い。バクロフェンと言う薬液を髄腔経由で脳髄に効かせる為にバクロフェンが入ったポンプを腹部に埋め込む手術をする。口から飲むと効かせたく無い所まで効いてしまうし、肝心な所に効かせるにはかなりの量が必要で、それだけ大量だと当然効かせたく無い所にも大量に効いてしまう。バクロフェンは基本的に筋肉の緊張を緩める薬だから(筋弛緩剤とは少し違う)必要な緊張まで緩めてしまって、例えばロレツが凄く悪くなるとか立てなくなる。なので効率良く肝心な所に薬液を効かせる為のポンプを腹部に埋め込む手術が必要なんだって。最初はそんな理由で手術するなんて嫌だなぁと思ったが、心臓が悪い人のペースメーカーみたいな物なんだと考え直した。

腹部にこんなものが埋め込まれていて何だかサイボーグみたいだ。手術後は一ヶ月弱(2007年8月7日退院)女子医大に入院した。「鐘ケ淵」から「女子医大」も一時間くらい掛るので妻はやっぱり毎日AM05:30には起きてたそうだ。ここでも消灯時刻のPM09:00迄付き合わす。妻以外には触られたく無いからだ。入院中も手足と会話のリハビリがあったが、女子医大も広尾病院同様リハビリ病院ではないのでリハビリ病院への転院を勧められる。

今でも大体40日周期で腹部のポンプに薬液を補充しに女子医大へ行く。補充の度に腹部もろともポンプに注射器を刺す。俺は元々注射が嫌いだ。一発で腹部からポンプへ刺されば良いけど、ヘタな人だと何度も腹部を刺されるのでかなり痛い。血が滲む事もある。

そのポンプも一度入れたら終わりでは無く、4年~5年毎に入れ換えの手術をしなければいけない。(注※)





※2011年6月10日、入れ換え手術をした。こんなにデカい物が入ってたなんて・・・。

ポンプのレントゲン

ポンプ



カツブログ-10/最新医療を探して

「急性期」は二ヶ月間、それが終わると今度は「回復期」だ。猶予は六ヶ月。この期間だけ外来や他の施設でのリハビリが許される。この期間が過ぎるとリハビリは全て打ち切り。

なので次は「慢性期」と言う。最近、俺が箸で何でも食べられる様になったのはこの「慢性期」。でも「回復期」ではないのだから良くならないはずの「慢性期」に回復してはいけないらしい

東リハの外来リハビリが週一では少な過ぎるので、平行して「すみだ福祉保険センター」と言う区民会館みたいな所でも約半年間週一回リハビリした。でもさっきも言った通り六ヶ月間だけ。それが過ぎるとアレだけ優しかったリハビリの先生達も冷たいもんだよ。そして「慢性期」になった。


俺は次に「慢性期」でもリハビリしてくれる病院を探し出し(実際に探したのは妻だけど)2005年4月から週一で行く。でもこの「急性期」「回復期」「慢性期」と言う区切りの本来の意味は「これ以上の回復は望めないから慢性期」では無く、単に「急性期」は二ヶ月間、「回復期」は六ヶ月、「慢性期」は無期限の単なる期間の事なのだ。だからさっき言った「回復しないはずの慢性期に良くなってはいけないらしい」なんて言うと「私共はそんな事は言ってません」と役所に言われる。役所はどんな事を言われてもそれに対応出来る様に、ああ言われたらこう答える、こう言われたらああ答えると、いつだって答えを用意して逃げ道を作ってあるんだ

この紛らわしいネーミングのせいで勘違いしてる医師や医療関係者が実に多く、患者に「あなたは慢性期だからこれ以上の回復は無理」なんて言ってしまう医師がいる(俺も同じ様な事を言われた)。大体いくら勘違いしてるとは言え、医師から患者がこんな事を言われたら信じてしまうよ。この勘違いで入院を拒む病院も多い。

この紛らわしいネーミングを付けたのは誰だ?と言えば小泉だけど(実際に命名したんじゃないだろうけど)。俺はリハビリ以外にも何か良くなる方法はないのかと、最新医療を行ってる大学病院(これも妻が探した)の診察を片っ端から受けた


その中には「そう言う身体になって他人に優しい気持になれたでしょう?」なんて間抜けな事を訊く順天堂の医師がいた。俺にしてみれば「それは自分が治れば車椅子の人には優しくしようと思えるけど、今は自分の事で精一杯なのに他人の事なんか考えられないっつーの」である。更にその医師は信じられない事に「リハビリなんて、やっても無駄だ」と言った。そんな事を言う医師がよりに寄って順天堂にいるなんて・・・。






カツブログ-9/制度!制度!制度!


一週間くらいは安静だったが割と直ぐリハビリが始まった。

でも広尾病院は救急病院でリハビリ病院じゃないので、一ヶ月くらい広尾病院に入院して、リハビリの専門病院に転院した。それも良くなる見込みがある人しか受け付けない事で有名な敷居の高い東京リハビリテーション病院(東リハ)に2003年11月28日に転院した。広尾病院には東リハは審査が厳しいから無理だと言われた。なので何故、東リハが俺を受け入れたのか理由が分からない。

転院当初は引越する前で、まだ「恵比寿」に住んでいたから妻は毎日AM05:30には起きて07:00の朝食に間に合うように来てくれた。口から普通の食事が食べられる様になっても、俺は看護婦に食べさせてもらうのが嫌だったから。その後東リハの最寄りの「鐘ケ淵」に引越してからも毎日AM06:30には起きてたそうだ。PM09:00の消灯まで付き合わせた。引越は俺が入院中に行われたから俺は全くノータッチ。退院後、俺の家が「恵比寿」から現在の「鐘ケ淵」に変わってた感じ。

この東リハに来てからベッドの上半身を倒して普通に横になって眠れる様になった。つまりそれまでは普通に横にもなれなかった。それまでは常にベッドの上半身を起こした状態で寝ていた。

それから俺のCDエスキースのライナーにも書いたが、ソーシャル・ワーカーと名乗る女性を筆頭に色んな人が次々に現れて、ただでさえ人見知りだから知らない人に会うのは苦手なのに、そんな人達の話しによると俺は身体障害者らしい。心の準備も出来てないのに知らない人達からいきなり「あなたは障害者です」と言われてもピンと来ないし「あなたはゴキブリです」と言われたような嫌悪感。「えぇーっ ! 俺が障害者 ! 」と言う感じ。一番とは言わないが、障害者と言う人種を上か下かと言えば間違い無く下だ。そんな下まで転落して行くような気持ち。まさに奈落の底に突き落とされた感じで、とても受け入れられない。

でも障害者として障害者手帳を受け取らないと介護サービスが受けられなくなってしまうし、介護用品がレンタル出来なくなるので嫌悪感を感じながらも障害者手帳を受け取った。


「急性期」と呼ばれる変な制度がある。
倒れて救急病院に運ばれてから二ヶ月以内が「急性期」と呼ばれ、その二ヶ月以内にリハビリ病院に転院しないとリハビリ病院に転院出来なくなってしまうから、身体中に管が付いた状態であろうが、まだ意識が戻らない状態であろうが二ヶ月以内にリハビリ病院に転院しなければならない。

俺は運良く意識があってリハビリ病院に転院できたが、意識が戻っていない状態でも二ヶ月が過ぎると「ハイ ! 急性期は終わりました」と言われてしまい、リハビリ病院に転院出来なくなってしまうのだ。

この「急性期」って言う制度は、人それぞれの病状とは全く関係無く、たったの二ヶ月間の期間の事なのだ。おまけにこの「急性期」ってヤツは事故には適用されない。事故で脳卒中と同じ場所が損傷して同じ病状だったとしても、意識が二ヶ月以上戻らなくても何の問題も無く意識が戻ってからゆっくりリハビリ病院に転院出来る。二ヶ月間の猶予にアタフタさせられるのは脳卒中とかの病気の人とその人の家族だけ。 

それからまだ口からは何も食べられない人は鼻から管で栄養補給(経鼻経管栄養と言う)するのだが(俺もそうだった)、身体の胃の所に穴を開けて管から胃に直接栄養を補給する「胃ろう」と言う手術がある。この手術をする人は基本的に口からは何も食べられない人で、経鼻経管の人は訓練次第で口から食べられるようになるかもしれないのに訓練する以前に「経鼻経管」の人はお断り、「胃ろう」の手術済みの人に限る」と言うリハビリ病院がある。

何でかと言うと要するに面倒だからとか食事時は看護婦が足りないからとかの病院側の下らない理由。そんな理由で手術しなきゃいけないなんて・・・と思う。
でも二ヶ月以内に転院しないと転院出来なくなってしまうと急かされたら・・・。


せっかく敷居の高い東リハに転院出来ても、いられるのは三ヶ月間と制度で決まってる。
その三ヶ月でなるべく家族の負担が少なくて済む様に様々な訓練をするのだが、例えば痰を自分で出せないと家族が吸引機を使って吸引する事になる為、家族が吸引の仕方を覚えなければならない。なので妻も吸引の仕方を教わってたが、幸い俺は三ヶ月以内に自分で出せる様になったから吸引してもらう必要は無くなったし、何でも食べられる様になったから流動食を作ってもらう必要も無くなったけど、そうならなくても三ヶ月で追い出される。出来る様になるまで居られる訳じゃない。

2004年3月17日(2003年に入院したのに退院したのは2004年なのは入院中に病院で年越ししたって事)に東リハを退院。「退院」と言えば聞こえは良いが要するに「追い出し」だ。入院中は毎日あったリハビリも退院した途端、通い(外来)の週一回のリハビリになる。急にこんなに少ないんじゃ良くなるもんも良くならない。これが現状だ。


以前よく、先輩とかに言われたんだけど「お前のその出で立ちで飲食店に行って何の問題も無い ? 俺がもしも飲食店をやってて、お前みたいな出で立ちのヤツが来たら絶対料理にイタズラするよ」と同様に、東リハでリハビリと言うものが始まった時から、色んなリハビリ病院やリハビリ施設等でリハビリの先生に感じたんだけど、リハビリの先生になる様な人達は、俺みたいな人種は嫌いだろうな。凄く真面目な人が多いし、悪く言えばクソ真面目でダサイ。俺がこうならなかったら絶対知り合わないだろう人達。だから内心「ザマミロ」と思われてる気がして。



カツブログ-8/見りゃ分かるだろ

この頃は鼻が異常に敏感になって遠く離れた所から「何かコーヒー臭い」と言って、ロビーをストレッチャーのパー車で長い事グルグル回ってるとコーヒーの自販機発見。妻には全く臭わないのに俺には臭って「こんな遠くのコーヒーの臭いが判るのかぁ」と、思った。

ずっと空気の良い病室にいたせいか、病院の外の空気がもの凄く悪くて、ロビーにいると玄関から入って来る悪い空気のせいで呼吸が苦しくなった。

それから広尾病院で分かった事は、看護婦に頼みたい事があって「すいませーん」と、呼び止めても必ず「ちょっと待ってて」と、言われる。そう言われて待ってても絶対に来ない。広尾病院の看護婦の「ちょっと待ってて」は永遠に来ない事を意味する

規則だから仕方ないんだろうけど、何でも医師の承諾がないと看護婦は何も出来ない。バカなんじゃと思うくらい何も出来ない。

例えば尻に画鋲が刺さったとする。普通なら「いてっ!」と飛び上がると思うんだけど、飛び上がれない俺は看護婦に抜いてくれるよう頼む。すると「先生に訊いてから」と言われる。

本当にバカじゃないの!見りゃ分かるだろ!

そりゃ抜いたら命に関わるとかの場合は医師の承諾が要るんだろうけどさ。実際に画鋲が刺さった訳じゃないけど、そのくらい何にも出来ない。





カツブログ-7/脳幹出血

今まで数多くのリハビリ施設や病院に関わって来た。
まず一番最初に運ばれたのは広尾病院だ。

忘れもしない2003年10月22日。(今から約8年前だ。)その日は朝から雨がシトシト降っていた。雨が降ってなかったらいつもの様にバイクの後ろに妻を乗せて青山に在る妻の会社まで送って行くはずだった。今思えば二人乗りして走ってる最中に出血してたら二人共死んでたかもしれない。

雨が降ってたから妻を送らず、俺はトイレに行った。そのトイレで異変は起きた。
俺にはトイレに携帯を持ち込む習慣があったから、身体に異変を感じて直ぐ妻に電話出来たが、トイレにまでは持ち込まない「不携帯」だったら死んでたかもしれない。

既に会社にいた妻が慌てて帰って来て、トイレで倒れてる俺を発見して妻が救急車を呼んだが、妻には最近「あの時、私に電話してないで救急車を呼んでたら今よりももっと軽い症状で済んでたかも」と言われたが、119はイタズラ防止の為かこちらの番号を訊いて電話をかけてくる。その時に俺の言葉が通じたか疑問だし、通じなくてもただ事じゃないのが伝われば来てはくれるだろうけど、その時には手遅れで死んでたと思う。

それまで大きな病気をした事が無かった俺は、最初、救急車で運ばれた時は「まぁ注射の3本も打てばその日の内に帰れるだろう」と思っていた。それがまさかこんな事になろうとは・・・。

広尾病院にたまたま宿直してたのが脳外科の医師で助かった。(違う科の医師だったら俺は生きてない)最初は何も聞こえないし、喋れなかった。不思議と妻の声だけは聞こえた。

肝心な事は全く聞こえないのに、何故か病室に有る水道で妻が手を洗う時ジャーと水を流すと、そのジャーという音がずっと耳に付く。もうとっくに手を洗い終わって、水も流れてないのに耳の中でジャーと聞こえる。肩が凝って、電動あんま機を使うとブーンという音がやはりいつまでも耳に付いた。病室の外のロビーではテレビの音がガンガン鳴ってたらしいのだが、俺には全く聞こえなかった。ストレッチャーでテレビの前を横切っても全く聞こえなかった。

それから不思議な夢を沢山見た。何処までが夢で、何処からが現実なのか判らない。俺のCD「エスキース」のライナーにも書いたが、死神みたいなのも見たし、顔が真っ黒な看護婦もいた。一番最初に運ばれた広尾病院のICUでは真っ裸の子供達数人が走り回ってドタバタうるさいので「うるさい!ここを何処だと思ってるんだ!」と、怒鳴った覚えがあるがこれは夢だろう。何故なら声が出る分けないからだ。でも凄くリアルだ。場所が場所だけに子供達の霊だったのかもしれない。

話を戻そう。目は何を見ても流れる感じで、焦点を合せても流れる。だから結局焦点は合わない。「こんな目に合うメガネがあるのかなぁ ? 」と、思ってた。

現在はソコまでは目は悪く無い。さっき言った通り老眼と乱視だ。



肺炎や膀胱炎にもなった。それまでそんな病気なんかした事なかった丈夫な俺は「ははぁん、そうか分かったゾ!どうやらこの病院は色んな病名を付けて俺を病人にするつもりだな!」と、思った。でも脳をやられると色んな所が弱るそうだ。

肩に何かの管を付ける時、麻酔無しで肩を切られても全く痛くなかったほど何も感じなかったのに(考えてみればいくら何も感じないとは言え麻酔無しと言うのは酷い話だ)膀胱炎の為、尿道に管を入れられた時は激痛で本当に天地が逆さまになった。その管を尿道に差し込みながら医師が薄笑いを浮かべてた。

この頃は鼻にも何かの管が入っていて凄く息苦しいのだが、耳鼻科の医師の承諾がないと勝手に引き抜けない。この耳鼻科の医師は広尾病院の医師ではなく、他所の病院から一週間に一度だけ広尾病院に来る。来るはずの日に何かの都合で来ないとまた来週になるのだが、俺の息苦しさがそれだけ長引くのだ。俺にしてみれば「えーっ!今日は来ないのぉーっ?!また一週間苦しい思いするのぉーっ?!」である。そう言う時の一週間は凄く長い。

現在は普通に聞こえるがこの頃は基本的に何も聞こえず、この耳鼻科の医師には「一生このまま聞こえないかも」と言われた。

最初は喋れなかったし、出来るのは「Yes」と「No」の首振りだけだったので妻との会話は平仮名の50音のボードを使った。ちょっとした事を伝えるのに凄く時間が掛る。焦れったくて仕方ないが、それしか意思を伝える術がない。その50音のボードを使って看護婦に「バカ」と言った事がある。看護婦はまさか自分が「バカ」と言われるとは思ってないから、一生懸命「コレ ? 」と文字の指差しをくり返してた。

面会時間はAM10:00~PM09:00迄で、妻は毎日来てくれた。それとその頃の俺は寝てると無呼吸になるみたいで、気付くといつも何かの注射を2、3本射たれ、「戻って来ーい!」と、医師の声が聞こえ、俺は全身汗ビッショリで看護婦数名に囲まれてる。そう言う時は決まって妙な夢を見る。こんな事が毎晩続くので、俺は眠るのが怖くなって、精神安定剤と睡眠導入剤を注射してもらうが、すると妙な夢が中々覚めず、医師の「戻って来ーい!」に戻れないのだ。やっとの思いで戻るといつも以上に汗ビッショリなので、睡眠導入剤を止めた。

自分の手や足に、見た目とは違った感覚が在る。妻に「俺の手は ?」と、訊くと「これでしょ」と、俺の手を触る。(その頃は当然、感覚がないので触られても判らない)俺は「それも確かに俺の手だけど、本当の俺の手は今ここにある」と、布団の中から本当の手を懸命に出そうとするが出る訳が無い。

本当の足がベッドに挟まれた事もあった。でも痛みは全く無い。痛く無いはずだよ、そんな足、最初からないんだから。



この感覚の異常は未だに少しある。
寝てる時に頭を掻こうとした時等に俺が思ってもみなかった方向から腕が出てくる事がある。

つまり今、腕が何処に在るのか判らないのだ。




カツブログ-6/暴言


老人ホームの次にさっきの水野病院に入院した。

さっきも言った通りその病院に入院中は一度もトイレに連れてって貰えなかった。(要するに面倒くさいから、他のボケ老人達と同様にオムツに出せって事) 連れてって貰えなくても出るモノは出るので、朝、見回りに来た婦長の目の前で簡易便器にウンコをした。そのウンコを片付けるように婦長に言われた男の看護士はそのウンコを見て「ウヘッ!」と言った。

ユリドームと言うコンドームにホースが付いていて、そのホースの先のバッグに尿が溜まる仕組みの物がある。そのコンドーム部分が外れないようにゴムベルトで固定するのだが、俺は寝てる間に外れないようにそのゴムベルトを根元にきつめにしていたら、毎朝、見回りに来る看護婦がそれを見つけて「まあ!あなた、そんなにきつくして痛くないの? あぁ ! そうか!どうせ感じないもんね」と言われた。

こんな失礼な看護婦がいる一方で、このユリドームを付けるのが下手っ糞な看護婦がいて、ベテランの看護婦に「コンドームを付ける要領で」と言われて顔を赤らめていたり、毎回、皮ごとユリドームを被せて、その上からゴムベルトで固定する。そんな事をしたって絶対に外れてしまう。余りにも男性器の構造を知らなさ過ぎる。「お前は処女かよ ! 」とツッコミたくなった。


俺は毎日、飲む薬の数量が決まっているのだが、別の看護婦にベッドで薬を飲ませて貰う時、その看護婦がベッドの上に薬を落としてしまい、散々探したが見付からなかった時に言った一言が「まあ良いか一個くらい」である。俺はこの病院に殺されるんじゃないかとマジで思った。


でもそんな事を母親に言いつけたって仕方がない。「そんなに酷い目に遭ってるんならもう引き取ります」とは母親は言えない。それに文句なんか言ったら「そちらでは手に負えないんでしょう ! だから病院が面倒みてあげてるんじゃないですか!」と言われ兼ねない。

だからどんなに酷い目に遭っても我慢するしかない。

後で聞いた話だけど、何かの手違いで俺もボケてる事になってたらしい。それを聞いて「どうりで看護婦が酷い!」と思った。でもそれって、他のボケ老人達はボケてるのを良い事に酷い扱いをされてるって事だ。それがもし自分の親だったらと思うとゾッとする。

そう言えば、俺と同じ病室にはバァサンがいた。いくらバァサンとは言え男性部屋に女性が一緒なのは如何なもんか。


それに看護婦の暴言はこれが初めてではない。この病気で倒れて一番最初に運ばれた広尾病院のICUで、生死を彷徨っていた時に看護婦に「どうせ生き延びたって、ずうっと家族に迷惑かけて生きて行く事になるのよ。充分生きたんだからもう良いじゃなない。諦めて死になさいよ」と言われた。

それを妻に話したら「看護婦だったら絶対そんな事を言う訳が無い。寝ぼけてたんじゃ無いの ?」と言われたが、俺はその時脳卒中の知識が全く無く、脳卒中の患者がどんな治療をして、どんな介護が必要なのか、家族にどんな面倒がかかるのか全く知らなかったから寝ぼけようが無い。

で、実際にそうなってるから本当に言われたんだろうと思う。








カツブログ-5/障害人


脳出血を起こし身体が不自由になったと思ってるだろうがそんな生易しいもんじゃない。身体の不自由はもはや人間でない事を意味する。

脳出血で身体が不自由な障害者になったのではなく、脳出血で身体が不自由な障害人として生まれ変わったのだ。障害人は人間ではないのだから当然、人間扱いされないし人間としての尊厳なんて一切ない。

そんな目に遭っても我慢、我慢、ひたすら我慢するしかない。


事実、新井薬師の傍の水野病院に入院した時には一度もトイレに連れて行って貰えない事があった。俺が入院した病室の他のボケ老人達と同じ扱いを受け、オムツを無理矢理履かせられた事があった。俺はボケてないし、オムツなんか必要ないのにである。

その病院に入院した5年くらい前は、妻がどうしても大阪の実家に帰らなければいけない用事が出来て、その間は他所で介護を受けなければならず、最初は業平ホーム(なりひら)と言う老人ホームに入所した。妻の代わりなんてとても務まらないのだが、誰もいないよりはマシだろうと俺の母親が代役を努めた。その老人ホームでは俺と歳が近い職員達から「オトーさん」と呼ばれた。子供もいないのに・・・。

俺が「オトーさん」だなんて、それまでそんな風に誰からも呼ばれた事が無かったのでビックリした。

安楽尿器と言うカップにホースが付いていて、その先のタンクに尿が溜まる仕組みの物があるのだが、そのタンクが倒れて尿が零れてると女の若い職員に「ウワーッ」と言われてイヤな顔をされて、「あ~あ~」と言われながら零れた尿を片付けられた。俺は内心「「あ~あ~」じゃねーよ、バ~カ ! 」と、思っていた。思ってはいたが凄い屈辱だ。このバカ女は他の老人達にも同じ事を言って不快な気持ちにさせてるに違いないと思った。

パー車からベッドに移る時も毎回毎回、力づくでやられた。段取りさえととのへば自力で立てるのに、まるでプロレスの様にやられた。特に安田大サーカスのクロちゃん似の職員は酷かった。

それでも我慢、我慢するしかない。






カツブログ-4/ヘルパー


建築現場やバイク便等職業柄、埃には慣れているし強いと思っていたが、僅かな埃でもムセる様になってしまった。

なので埃だらけの部屋を掃除してくれるよう妻に頼んだ。何度も何度も頼んでやっと妻が床を掃除してくれた。

しかしテレビの上は埃だらけだ。その埃を俺が見付けて何度も何度も申告して、実際にテレビの上から埃が無くなるまで何ヶ月も掛かる。普通は床掃除のついでにテレビの上の埃も掃除するのではないかと思う。

こんな事が度々起こり、口論が絶えないので、介護ヘルパーに掃除だけ頼む事にした。

と言うのは簡単だが、介護ヘルパーを頼む為には様々な審査をパスしなければならず、実際にヘルパーが来る様になるまで何ヶ月も掛かる。

掃除とは別に部屋の片付けだって俺なら一日で終わる。ところが妻だと何ヶ月も掛かる。おまけに妻は病弱だからその片付けも中々はかどらない。結局、片付け終わるのに一年以上掛かる事もザラにある。

一年以上も散らかったままの部屋を見続けなければならない俺の気持ちが判るだろうか?

でも我慢、我慢である。俺が片付けた方が早いと思っても、それが出来ないのだから仕方が無い。

俺は元々整理整頓好きなA型である。







カツブログ-3/嚥下障害

首はまるで薬店等の店頭に置いてあるデッカい人形の様に、スプリングで胴体に繋がってるみたいな感じで首が座らない。

リハビリの歩行訓練等で揺れると首も揺れるから、俺の目にはカメラの手ブレみたいに見えてしまう。それと、顔はまるでアロンアルファを塗って乾いた様な違和感が、頭にはヘッド・ギアみたいな物を被ってる様な違和感かある。これも7年以上そうだ。最初は絶対にヘッド・ギアみたいな物を被って、口にはゴムで出来た鳥のクチバシの様な物がくっついていると思ってた。何かの検査の時、外してくれる様妻に頼んだが、「そんな物付いてないよ」と妻に鏡に映った自分の顔を見せられ「あっ ! 本当だ ! 無い ! 」と自覚するまでは本当に付いてると思ってた。

ビールは介護用の蓋の付いたコップを使ってストローで飲んでいる。

最初はムセるし、気道に入ったら危険なので何も飲めなかったし、何も食べられなかった。鼻からチューブで流動食だけ。粒状の薬もすり潰して粉状にして飲んでいた。何とか粒状でも飲めるようになってもお茶で飲むとムセた。もっと最初はムセる事も出来なかったから、ムセる練習もした。練習してムセるなんてと思ったが、上手くムセられないと気道に入り、肺炎になったりして危険なんだそうだ。

現在はその頃に比べれば大分マシだけど、ビールをストローで飲むなんて考えられない。これら飲み込みが悪い事を「嚥下障害」(えんげ)と言うそうだ。現在はスッカリ治って、今では何でも飲めるし、何でも食べられるけど、一般に嚥下障害は治らないらしい。だから俺も以前は嚥下障害だったと言うと色んな人から驚かれるが、嚥下障害が治ったのは余程食い意地が張っているからなんだろうと思う。

まだ医師のOKが出る前から内緒で年越し蕎麦等を喰っていたし、ムセようが何しようがどうしても喰いたかったし、喰えない身体なんだと認めたく無かったから。

この病気をした人は大抵禁酒禁煙するらしいのだが、俺には禁酒禁煙する気が全く無い。

タバコも手が揺れるので妻に吸わせてもらっているけど隣で灰を落としてもらってるせいか、早く吸い終わらなければ悪いと思って一気に吸うクセが着いてしまった。元々は一気に吸ったりせずゆっくり吸っていた。だから今は灰皿にタバコを置いておくなんて事は無くなり、吸い終わったタバコの火を消して吸い殻を捨てるだけ。「タバコ=ちょっと一服」なんてのは無くなりとっても慌ただしくタバコを吸っている。それももう、かれこれ7年以上もそうやって吸っている。

それに俺のCD「エスキース」のライナーにも書いたが、普段から江頭2:50の様に身体が硬直(正確には脛縮と言う)している。タバコを吸うと更に全身が硬直するが、それを覚悟の上で吸っている。だから以前の様にビールを飲みながらタバコを吸うなんて無理な事だ。硬直すると手の揺れが増す。介護用のコップは蓋が付いてるから倒してビールをこぼしはしないけど手が揺れてシェイクしてしまうからストローから吹きこぼれてしまう。

それとタバコを吸うとウンコがしたくなる。それが何故なのかは俺にも分からないが、恐らくタバコを吸って普段より更に硬直すると腹部に力が入るからだろうと思う。

この硬直とは少し違うもの凄い硬直が不定期に襲って来る。「北斗の拳」の悪役が毎回最後に身体が膨れ上がって爆発するけど、まるであんな感じ。実際に爆発するわけじゃないけど、爆発するんじゃと思うほどの力が勝手に入る。自分の意思で力を抜けない。と思うと何かの拍子に突然全身の力が抜ける時がある。その時にこの力が抜けた状態が普通で、普段はもの凄く全身に力が入ってたんだなと実感する。この力が抜けた状態がずうっと続けば良いのだがいつも一瞬だけで長くは続かない。




バナナを食べる(H23年6月21日)
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フタを開ける(H23年9月27日)
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ヨーグルトを食べる(H23年9月27日)
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ご飯をすくう(H23年9月29日)
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カツブログ-2/俺の両手両足

俺の腕は左右で少し違う。

共通してるのは揺れる事だ。志村けんの老人ギャグの様によく揺れる。特に左手の方が揺れる。が、掴むのは左手の方が上手い。

右手も左手と同様に一応全部の指が使えるが、主に使える指が人差し指と親指だけだし、手を開くと薬指だけが真っ直ぐ伸びずに手のひら側に曲がっている。つまり薬指だけ開ききらないと言う事。それに力の加減が出来ないからサンドイッチ等は握り潰してしまうし、頭や顔が痒くなった時、届く所を掻くと血だらけになるので普段は軍手をしている。背中や足は届かない。これは左右共通して言える事だ。

「痒みを感じなかった頃よりは痒みでも感じられる様になっただけ良い」と言われるが痒くても掻けないのは地獄である。手が揺れるので痒い所を掻くまでその周りを掻いてしまってなかなか肝心な痒い所を掻けない。顔を掻くときに何度も何度も顔面を殴ってしまい目から火花なんて何回も見てる。やっと痒い所にたどり着いてもその時には痒みが治まってるなんて事もしばしば有る。

他にも左右共通してるのは親指と人差し指が向かい合わない事だ。

OKサインやお金のサインを手でやると人差し指の爪が親指の爪の横の肉に着いてしまう。説明が上手く出来ないけど、要するにOKサインが上手く出来ないと言う事は何でも上手くはつかめないと言う事。何かをつかむ時は右手の人差し指と親指で何とか摘んで、一端左手に持たせて、右利きだから改めて右手に持たせる。

角度とか向きを変える時はまた一端左手に持たせて、角度とか向きを変えて改めて右手に持たせる。親指の腹ではなく親指の側面と人差し指で挟むので、親指の第一関節の内側(人差し指側)側面にマメが出来て親指の形が歪になってしまった。普通はそんな所にマメは出来ないからだ。

それと最近気付いたのだが「左手の方がつかむのが上手い」のはネックを、「右手の人差し指と親指」はピックを長年握ってきた名残だと思う。

もう一つ左右共通してる事は3が出来ない事だ。もう、かれこれ7年以上出来ない。恐らくもう一生出来ないと思う。なので両腕ともまともには使え無い。

たけしの「冗談じゃないよぉ~」や、小森のオバチャマの真似する気が無くてもそうなってしまう。

揺れに関しては右手の方が大分マシで飲食やパソコンは右手で行っている。でも飲食は基本的に出来ないので妻に食べさせてもらってる。俺の食事が済んでから妻が食事を始めるので早く食べないと悪いと思い(原因はそれだけではないと思うけど)口の中をよく噛む。自分で出来るのは介護用の蓋が付いたコップで飲む事と、(何故か介護用ではなく)コンビニのスプーンでよそったりコンビニのフォークを突き刺して食べる事だけだ。なので、最近はピンセットの様な介護用の箸の練習をしているが実際に使える様になったとしてもこんな箸じゃ食欲がわかない。「俺は一生こんな箸で食べて行くのか ! 」と思ったが、妻から自転車の補助輪だと思えば良いと言われた。つまり、普通の箸が使える様になるまでの仮の箸と言う事。だけど、普通の箸が使える様になるのはまだまだ大分先だろう。一生無理かもしれないし、普通の箸が使える様になった頃には何も食べられない身体になってたりして。

パソコンに関しては手が揺れるので割り箸等の棒状の物をペンやフォークを持つみたいにして一文字ずつ打っているし、介護用の色んな補助具を沢山使ってようやく出来る事なので準備だけでもスゴく時間が掛る。なので「コレって出来るって言えるんだろうか?」といつも思ってしまう。

例えば、不自由な右手で何か物をテーブルにせっかく並べても左手でそれを取ろうとすると全てがぶち壊しだ。まるでふざけてるかの様に左手が揺れて全てテーブルの下に落としてしまう。「一体何がしたいねん?せっかく並べたのに・・・。左手ってヤツは・・・。」。なのでこんな手でギターを弾くのは無理だと思う。それは自分が一番良く判る。普通の状態でも難しいのにこんな状態でまともに弾ける訳が無い。もうかれこれ7年以上弾いて無い。今はまだかろうじてフレーズやコードを覚えているけどそのうちに弾き方や弾いてた事まで忘れてしまうんだろうな・・・。

当然の事だけど字は書けない。自分の名前すら書けない。

考えてみれば両足も靴や靴下を履かせてもらう時等にも足をピンと伸ばすと足がブルブルと痙攣する。我ながらバカみたいだ。「もう、いい加減にしろ ! 」。

両手足共通してるのは痺れてる事だ。感覚も鈍い。熱いとか冷たいとか痛いとか痒いは判るが、足が今何処に有るのか「左足をもう少し後ろに」とか言われても殆どの事は目で見て確認しないと判らない。

その目も最近は老眼と乱視気味なのであまりハッキリとは見えない。なのでCDのライナーや雑誌、本等、見えないし、めくれないので、いわいる「紙の文化」が全般的に駄目になった。(I-padに期待したが俺が興味をそそられる本は無い)DVD等も字幕が見えないのでいつも吹き替えで見ている。

年齢的に老眼でもおかしくないと言われてもピンと来ない。普通の状態で言われたんじゃ無いからだ。「この病気が原因なのでは?」と思ってしまう。この病気になる前は何の問題もなく細かいものも見えていたから余計にそう思えてしまう。

それからまるで西洋人の様に室内でも靴を履いてる。それもかれこれ7年以上だ。靴が脱げるのは入浴の時とベッドで寝る時だけ。これも西洋人みたいだ。ベッドからパー車、パー車からトイレ等に移る時、リハビリの時等の日常はずっと履いてる。要するに素足では感覚が鈍いし力が足りないので靴を履く。そのベッドだって最初から横になれた訳じゃない。最初は上半身を起こした状態で寝ていた。普通に横になると苦しくて眠れないのだ。(まるでエレファントマンみたい)恐らく内蔵を支える筋肉が失くなってしまったからだと思う。

アレだけオシャレだったのにどれも同じ様なデザインの介護ズボンを7年以上ずっと履いてる。
上は長袖Tシャツかトレーナー(スウェット・シャツ)を季節に応じて着てる。
ボタンの付いたシャツは着てない。

歩行訓練の時はそれまで履いた事が無かったスニーカーを履いてる。俺がスニーカーなんて・・。俺がオシャレ出来るのは長袖Tシャツとトレーナーとソックスだけ。

だけどどんなにカッコ付けたってパー車じゃ全てぶち壊し。
昔から他人にジロジロ見られる事には慣れてたが、でもそれは格好が派手だったからで、今、ジロジロ見られるのは何か見下されてる様な気がする。自意識過剰なんだろうか ?










カツブログ-1/今年で8年目

最初はメールのはずだったが余りにも長文なので手紙にする事にした。

この手紙(長文)を書き始めてからもうかれこれ2年以上が過ぎた。
書き始めた時は「発病から5年以上」と書いていたのに現在は「発病から7年以上」になってしまった。

だから書き始めた時は出来なかった事でも現在は出来るようになってる事も有るし、相変わらず出来ない事も有る。
それに7年も経つと気持ちの変化もある。現在はだいぶ丸くなったかも。でも性根の部分は変わってないと思う。と言うか変わりたくない。

7年も経つのにまだ出来ない事ばかり・・・と自分でも思うがコレでも随分早いらしい。
普通はこんなに早く変化しないそうでいつも驚かれる。(とは言っても元々は全て難なく出来た事)
ソレにも増して俺はかなり「特殊」らしい。

俺と同じ箇所が出血した人は大抵即死で、生き残ったとしても植物状態なんだそうだ。それを考えると確かに「特殊」だ。言い方を変えれば「しぶとい」だ。

主に妻がやってるHPには、そんな「特殊」で「しぶとい」人達が日本全国から集まって来る。
だから「俺みたいな人は結構沢山いるんじゃないか。そんなに「特殊」じゃないのでは?」と、それに慣れてしまうとついつい自分がかなり「特殊」で「しぶとい」存在だって事を忘れてしまう。

さっきも言った通り植物状態になっててもおかしくないのにそれが意思の疎通が出来るだけでもスゴいってもんだ。でもそう考えると「やっぱり俺はあの時死んだんだなぁ」とつくづく思う。

だから元に戻るって事を考えるよりも生まれ変わったと思った方が良いのかもしれない。(そう思いたくはないけれど)なので一番とは言わないが非常にカッコ悪い生き残り方をした事は否めない。








カツブログ、スタートします。

今日から「カツブログ」をスタートします。

この文章は、カツが友人に宛てて書いた手紙の一部です。
徐々に紹介をしていきたいと思いますので、ヨロシクお願いします。



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若くして脳幹出血に倒れ、中途障害者となったカツの毒舌ブログ。

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