苺畑でつかまえて

カツ&サリー、闘いの記録

カツブログ-30/健康まつり


毎週金曜日の外来のリハビリが一緒になる人が二人いて、一人は「これからの10代」の来年20歳の彼。もう一人は俺と歳が近く、発病前は中華の料理人だった人。俺が合宿中に料理をやったのは、彼が主宰する料理教室だ。

このメンバーと各々の妻達(と言っても俺の妻と彼の妻)、O.Tの先生達、彼のケア・マネ達が加わって、2011年10月23日(日)の「健康祭り」と言うお祭りに中華スープの店を出店することになった。

妻と俺は、その店で皆が着るTシャツのロゴ・マーク等のデザインを担当。来年20歳の彼はメニューのデザイン担当なのだが、彼はいわいる「オタク」なので、アニメ画像の少女をモチーフにしたデザインで、中華スープを出す店なのに、まるでメイド・カフェのメニューみたいだと、それを見た関係者は全員がそう思ったはずだ。でも結局、彼は家で事故ったそうで不参加になって、メニューは妻が作る事になった。実際、妻が作った方が相応しいのが出来るけどね。彼は多数決で決まったTシャツの色を嫌がっていたから、随分、絶妙なタイミングで事故ったもんだ。良かったのか、悪かったのか判らないけど。

「健康祭り」と言うダサイネーミングから最初は柳原リハの内輪のこじんまりしたお祭りだと思っていたが、実際はこの町内のお祭りで、出店も多くて結構マジなお祭りだった。いつもの介護タクシーで柳原リハに到着すると既に沢山の人で賑わっていて驚いた。「なんだ ! 本格的なお祭りなんじゃん !

妻と俺も家からトレードマークのTシャツを着ていった。関係者も全員着てた。大勢で同じデザインのTシャツを着てると圧巻である。

今回も驚いた事が幾つもあるが、その一つは関係者の中に俺と同じバイクの趣味のヤツがいた事だ。これは結構稀な事で、どんなにバイク好きでも同じバイクに乗ってる人は凄く珍しい。でも音楽は何故か「さだまさし」ファン。そっちの方が驚いたけど。「ロッカーズなのに、何で さだまさし なんだ ? 」

関係者の一人、O.TのS本さんは俺の担当の先生で、普段はリハビリの時にしか接しないから、話しもリハビリに関する事が多いんだけど、これはリハビリの時間じゃないので普段はしない話しで大いに盛り上がった。最初は柳原リハの中に在った店舗を出入り口の横に移して、俺とS本さんは飲みながら他の関係者達と中華スープを売っていた。俺にしてはよく喋ったのは酒が入ってたせいもあるんだけど、やっぱり相手が女性っていうのがデカイと思う。昔の飲み会を思い出した。それにこのS本さんは結構良く飲む。自分でも言ってたが相当酒癖が悪いんだそうだ。

それからS本さんは結構美人だったんだと気付いた事があった。P.Tのリハビリがあった或る日、1Fのトレ1でO原さんを待ってたらS本さんが入って来て、俺にはS本さんが入って来た途端に周辺がパッと明るくなった気がして、でもそれは「俺の担当だし知ってる人だからじゃないの ? 」と、思って、周りにいる他の女の療法士さんを一人一人ジッと見てみたが、若くてもブスはやっぱブスの人ばっかりで、S本さん以上の美人にはお目にかかれなかった。少なくとも1FでS本さんは一番美人だったんだと気付いた。

そう言えば関係者がこのお祭りの「お疲れ様会」をやると言っていたが、いったいいつになるんだろう ? このままだと「忘年会」になってしまいそうな気がする。まぁ俺は飲めれば良いんだから、どっちでも良いんだけどさ。でも昔みたいには飲めないんだろうな。昔はグデングデンになるまで飲んでたけど、今はそこまで飲んだらベッドに移る時等に危険だし、その時介助する妻は酔っ払えないし、すると俺だけ酔っ払うわけには行かないし。何にも考えずに飲めた時代はもう終わったんだな。ヤレヤレ。

中華スープの売上げは、この日の気温が高かったせいもあってイマイチで、一緒に売ってたエビせんの方が高評な売上げで先に完売した。妻と一緒にパー車の俺が膝の上にエビせんを乗せて、人混みを売り歩いたから人々に不憫に思われたんじゃないかな。
やはり最初はジャンクフードみたいな方が売上げを伸ばしてるが、そんなジャンクフードに飽き飽きし始めた人々は中華スープに来るみたいで、徐々に売り上げを伸ばした

お陰様で中華スープは完売。料理人だった彼は感動の余りに泣いてしまった。俺はこれが一番驚いた。彼は泣く様なタイプじゃないと思っていたから、泣き出した時、引きつけでも起こしたのかと思った。



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カツブログ-29/介護ベルト


一番最初に広尾病院から東リハに転院した2003年11月28日。その時はまだ普通のパー車に座れなかったからストレッチャーに寝た状態で行った。勿論、介護タクシーで。その状態でロビーで待ってると、暫くして俺の担当の「渡る世間は鬼ばかり」の久子(沢田雅美)にクリソツな看護婦さんが来た。だから残念ながらハズレだ。今でこそハズレだなんて言ってるけど、当時は焦点が定まらずれどころじゃなかった

部屋を案内され、主治医に「広尾病院には車椅子に座れないと言われて、まだ、普通の車椅子に座った事が無い」と伝えると、「じゃあ、座ってみよう」と、俺は座った事も無いのに、いきなり看護婦さんが二人掛かりで俺を車椅子に座らせて、主治医が「座れそうだね」と言った。初体験はいつだって突然やって来る。どうやらパー車に座る事もリハビリなんだそうだ。こんな感じで東リハでの入院生活が始まった。

昼寝してる入院患者のジイさんに「寝てちゃダメですよ~。ここはリハビリ病院なんだから車椅子に座ってて下さ~い」って言ってる看護婦さんが多くいた。俺も全くその通りだと思った。

ベッドからパー車への移乗も本当は看護婦さんを呼ばなきゃいけないんだけど、妻と俺は二人だけで勝手にやっていた。どうせ家に帰れば二人だけでやらなきゃいけないんだし、ここなら失敗しても助けがいるしと思って、移乗の練習を沢山した。当然、看護婦さん達には怒られたが、怒られても怒られても何度も続けた。終いには主治医にまで怒られた。それでも止めなかった。お陰で移乗出来る様になった

でもこの頃は真っ直ぐには座ってられず、身体が段々傾いてしまう。入浴の際にシャワー・キャリーに座った時もそうだ。そう言えば広尾病院に入院中は一度も入浴させて貰えなかった。って言うより入浴出来る状態じゃなかったと思う。なのでこの身体での入浴は東リハが初めてで、約一ヶ月振りの入浴だ。この頃は経管栄養のチューブが鼻から飛び出ていて、結構長いチューブがテープで顔に留めてあったから、そんな状態での入浴は本当に大変で、着替えるのも一苦労だったし、シャワー・キャリーに座るのも看護婦さん二人掛かりだったと思う。とにかく風呂に入るだけで大騒ぎだった。

東リハの建物の中は円く出来てるので、廊下を何処まで行っても行き止まりがない。グルグル何周も回れるから、妻は俺が座ったパー車を押して廊下を何周も歩く。俺の身体が傾いてて入院患者のジイさんに「危ない ! 倒れるよ ! 」と注意された事もある。そのくらい傾いていたのだ。その頃は東リハの主治医に移乗は出来てもトイレに座り続けられないから、結局、二人で暮らすのは無理だと言われた。

その為、妻が俺の身体が傾かないようにする「介護ベルト」を見付けて来た。表はナイロンで裏が全面マジック・テープになっている。このベルトで俺をパー車の背もたれにくくり付けて廊下を何周も回った。入浴の時もシャワー・キャリーにくくり付けた。これは家に帰ってからも続いた。

トイレにも座り続けられるように、便意が無くても毎朝ナーセント(便器椅子)に座った。入院中、それが何日続いたか覚えてないが、そのお陰で何とか普通のトイレに座り続けられるようになった。東リハのトイレにはウォシュレットが付いていて、そのシャワーを尻に浴びながら、俺はいつも「♪乗ってけ ! 乗ってけ ! 乗ってけ ! サーフィン♪」と唄っていた。

退院して家に帰ってからも、パー車とシャワー・キャリーに座った時の身体の傾きは続いたので、「介護ベルト」で、朝、起きた時から、俺は昼寝する習慣が無いから、夜、寝るまでパー車に座ってる間中ず~っと何時間も俺を背もたれにくくり付けた。入浴する時も毎回そうだった。これも何日続いたか覚えてないが、お陰で「介護ベルト」が無くても何とか真っ直ぐ座ってられるようになった。つまり、嚥下障害が治った事もそうだが、俺の場合かなり過激な訓練を続けたと言う事。その甲斐あって、以前は東リハの主治医に二人で暮らすのは無理だと言われたが、現在は二人で暮らして久しい




カツブログ-28/最近のぼやき-3


何て言うタイトルだったか忘れたけど、TVドラマで、毎回、何か悪い事が起きて絶体絶命の時「あの時、あっちを選んどけば良かった。こっちを選んだからこんな目に」とぼやくとその分岐点まで戻れると言うのがあって、本当にあったら俺もこの身体になる前の分岐点に戻ってもう一つの人生をやり直したい。
例えそれで妻と巡り会わなくても良いと思えるようになった。最初、それは凄く嫌だったけどまた妻に面倒かけたく無い。だからむしろ妻には巡り会わない方が良いのだ。するとさっきも言ったけどもっと早くに妻以外の誰かと結婚してたと思う。もしくは未だに独身かもしれないなぁ。妻と出逢うまで真剣に結婚を考えた事が無かったから。

最近つくづく思うのだが最後の最後でこうなるんなら俺なんか最初から生まれて来なければ良かったのに。生まれて来たばっかりにこんな事になって、一番幸せにしたかった妻に面倒掛けて
考えてみれば現在の俺って妻に面倒掛けるだけの存在でしか無い。バイクで何処かへ連れて行く事も出来ないし、ギターを弾いて唄う事も出来ない。精々、リハビリで良い成果を出して喜ばせる事と冗談を言って笑わす事くらいしか出来ない。他には何にも出来ない

昨年(2010年2月1日)、父が亡くなった。享年70歳だった。大腸ガンが原因だけどちょっと早過ぎると思う。少なくとも80歳まではピンピンしてると思ってた。俺もいよいよそう言う歳なんだと強く実感した。
 
現在、俺の一番の望みは妻より先に逝く事だ。父は少し早かったが母より先で良かったと思う。母の方が先だったらショックで、TVでよく見る様な「淋しくてヤリました。」と言う万引犯になってもおかしくない。それに家族に介護の面倒をかけなかったのは良かったと思う。逆に言えば、不様な姿を家族に見せなかったとも言える。とにかくもしも父より先に母が逝って、父が一人残されたら恐らく生きて行けないと思う。
俺も間違いなくそうだから妻より先に逝きたい。


こんな事を思ってるだけで、別に今すぐ死にたい訳じゃない。タイトル通り、これはぼやき







カツブログ-27/相変わらず

例のジジイ医師は相変わらず白衣を着てない。それと、顔が会った途端に急がされるのも相変わらずだ。

この病院の医師達は皆、白衣を着てないんだから仕方ないとは思うんだけど、このジジイ医師だけは着た方が良いと思う。
前に「白衣を着てないジジイ医師は、ただのジジイだ ! 」と言った俺だけの為だけじゃなく、このジジイ医師が普段着でフラフラしてると、他の人にとっても紛らわしいと思う。このジジイが医師だと知ってる人は良いけど、見舞客等は知らない人が多いはず。病院の規定とかで年齢制限なんかを設けて、ある一定の年齢に達した医師は白衣着用する事とかって義務づけた方が良いと思う。このジジイ医師と同年代くらいの警備員のジイさんは、いつも作業着みたいなのを着てるから分かり易い。紛らわしいのはこのジジイ医師だけだ。他の医師や職員達と同様にせめて名札くらい付ければ良いのに、このジジイ医師は名札も付けてないから、杖でも突いてた日には患者なのか ? 医師なのか ? なんて、知らない人には絶対に区別つかない。本当に紛らわしい。

ようやく自分の耳が遠い事に気付いたのか、最近は電動の血圧計最初から使う。それは良いのだが、その電動の血圧計の腕に巻くベルトのマジック・テープが使い回しし過ぎの為か、付きが相当悪く計測中にもスグ外れてしまう。すると「Err」の表示が出る。そしてもう一回計り直す。今度は外れないようにジジイ医師が手で押さえてる。この儀式毎回毎回いっつもだ

マジック・テープが外れて「Err」を出して、今度は外れないように押さえながらもう一度計り直す。もう分かってると思うが、最初っから押さえてろっつーの。俺の身体は実に正直に反応するから、これももう分かってると思うが、そんな時は当然、血圧が高くなる。すると「ちょっと高いなぁ」と言って、今度は何と俺に深呼吸させる。血圧が高く表示される原因は俺じゃないのに。せっかく計測出来たのに、深呼吸させて、もう一度計るつもりだ。

診察室の外のロビーには誰でも自由に計れる血圧計があって、それで計ってから診察を受ければ嫌な儀式をされないで済むのだが、でも、それをすると何にもする事が無くなったジジイ医師は、いつも以上に俺に話し掛けてくると思われる。それはそれで凄く面倒だし、それと儀式なら、まだ儀式の方がマシなのでジジイ医師に話し掛けられないようにしてる。
このジジイ医師は電子カルテに書く事が無くなると、何か俺に喋らせたがる。必ず「えっ ? 」って言うクセに。





カツブログ-26/自宅でのリハビリ


柳原リハの再入院(強化合宿)も2011年9月29日に退院して、また、通い(外来)の週2のリハビリが始まった。

前にも話したが、入院中は毎日あったリハビリも退院した途端、週に2回(1回1時間)だけになる。いきなりこんなに少なくなるので、強化合宿の目的の一つ「家で一人ででも出来るようなリハビリ」(自主トレ) が非常に重要になってくる。

リハビリの先生達もソコはよ~く分かっていて、実際、「家屋評価」しに家まで来て、「この部屋のこの壁にこの手摺を取り付けてリハビリして下さい」とリハビリの先生が二人掛かりで、安全性も考慮して、ああでもないこうでもないと試行錯誤の末に手摺を取り付ける場所/位置を決める。

そうやってやっと決まったのに、手摺の取り付けを請け負った介護用品のレンタル業者の「ワコー」は「手摺の取り付けだと申請に時間掛かるから「突っ張り棒」を取り付けましょう。手摺の位置から数センチ出ますけどね」なんて平気で言う。
要するに手摺1本取り付けるより「突っ張り棒」をレンタルさせた方がオイシーから。俺も妻も勿論大反対で、リハビリの先生が決めた場所に手摺を付けるように突っぱねた。
俺が一番ムカついたのは、「手摺の位置から数センチ出ますけどね」と平気で言った事だ。
その数センチで苦労してんだよ ! コッチは ! 」介護用品の業者なのに何でそんな事が分からないんだろう ? と思った。ったく ! 「ワコー」めっ !

それから「申請に時間掛かるそうだけど、一ヶ月も掛かったら強化合宿で付けた筋力が落ちちゃうよ」って冗談で言ってたのが本当になってしまった。「いやぁ、流石にそんなには掛かりませんよ。精々、一週間くらいなもんですよ」って言ってたのに、9月29日に退院して11月12日現在 信じられない事に未だに手摺が付いてない。もう間違い無く強化合宿は無駄になった

最初は「いつまで待たせるんだっ ! 」と怒っていたが、ここまで待たせられると最近はもう「どうでも良いですよ」って感じ。こんな現状でもケア・マネは何処まで突っ込んでくれてるか分からないし、介護用品の業者は大家の承諾待ちと言うし、不動産屋はいい加減だし、皆、他人のせいにする。今までもこんな事が沢山あった。もう誰も信用/信頼出来ない。だから妻は増々強くなる

俺は幸い妻がズバズバ言ってくれるから良いけど、何も言えない人や、言ってくれる人がいない人はどうするんだろう ? 特に高齢者は泣き寝入りするしかないのか ? その為のケア・マネなんだろうけど、本当に頼りになるのか疑問だ。
俺のケア・マネは最近新しい人に変わったばかりで、今までは高齢者しか担当して来なかったんだろうから、マニュアル通りには行かない俺はかなり難しいと思う。だから色んな諸事情が分からないのかも知れないが、そんなの利用者には関係無い。むしろ手摺の事とか早く解決して「今度のケア・マネはスゴいねぇ」と言いたいもんだけど、まぁ無理だろうなぁ。

とにかく9月29日に退院して、その日に業者が見に来て、「分かりました」と言ってたのに、11月12日現在も手摺は付いてない。当然、家でのリハビリ(自主トレ)は一度もやれてない。
実際に手摺が付いたとしても、コレだけ間が空くと、俺はペーパー・ドライバーみたいなもんだから、外来の時にでもリハビリの先生にやり方の訓練をもう一度はやって貰わなきゃなんない。

さて、今年中に付くだろうか ?








カツブログ-25/最近のぼやき-2


先日、TVでやってたのだが、俳優の杉 良太郎氏は色々な法律的な事情で恵まれない46人の子供達の里親になったり、他にも福祉活動を勢力的にやってて、売名行為との心ない誹謗中傷に遭ってもめげず続けてて「この人は偉いなぁ」と、思った。俺には「福祉」の気持なんて全く無かったなぁ。そんな俺が現在はその「福祉」に助けられてるなんて皮肉なもんだ。

最近やはりTVで見たんだけど、島田 紳助(引退前)のバイクチーム「チーム・シンスケ」が何年か振りに復活するそうで、復活の理由は被災者や被災に遭ったチームメイトのライダー達に元気になってもらう為。と言っていたが本当にそんな事で元気になれるんだろうか ? 羨ましがらせるだけじゃないのか ? 少なくとも俺は元気になるどころか「本来なら俺がそこに居たのになぁ」と落ち込むだけで「俺の分もチームメイトに頑張ってもらいたい」なんて絶対に思わない。二度とバイクに乗れない身体になったら尚更だ。なんでもかんでも復興支援と言えばイメージは良いし視聴率も良いんだろうけどさ。
いっつも思うのはいちいち復興支援とか被災者を元気にするためとか言わないで黙って勝手にやれば良いのにって言う事。

TVはいつも上っ面だけで比較的元気な人達しか映さないが、今回の地震が原因で障害者になった人達も映すべきだと思う。だから紙オムツが必要なのは赤ちゃんだけだと思われてしまうんだ。
苦しみも悲しみも同じなのに方や毎日流れてる。障害者の事は精々日テレの「24時間テレビ」(俺はこの番組が大っ嫌い)で一日だけしかやらない。規模が違うと言われればそれまでだけど。

確か愛媛県だと思ったけど、被災者家族を県で受入れる事を行ってる。それで受け入れられた家族が「もう頑張れないんです」と言ってたけど、それが被災者の人達皆の本音だと思う。周りの人達は無責任に「ガンバレ ! ガンバレ ! 」と言い過ぎ。管総理が言ったとか言ってないとか騒がれてるけど、現実問題どんなに頑張っても原発が事故ったあの町にはもう二度と住めないだろう
義援金も被災者の人達に本当に公平に分配されてるか疑問だ。間に入った人達がつまらない基準を設けて支払われる金額の上限を決めてる様な気がする。寄付した人達はそんな事一切望んでないはずなのに。

被災した人達は本当に気の毒に思うけど、前々から何かが引っ掛かっていたが、それが何なのか最近判った。こないだTVで今回の津波で全て流され、それまで通っていたピアノ教室も流されて好きなピアノが弾けなくなった女の子がいると言うのをやってたけど、でもその子はピアノが有れば弾けるんだから良いじゃん。俺は何も流されてないけど、目の前にギターが有ってももう二度と弾けないんだから。

全て流されるが五体満足なのと、何も流されないけどこんな身体になるのとどっちが良い ? と思った。








カツブログ-24/柳原リハに再入院


女子医大を2011年6月29日に退院してスグ柳原リハに転院出来るように全てコッチで準備/根回しして、後は書類のやり取りするだけで良いようにしておいたからと、女子医大のソーシャル・ワーカーには入院直後から言っておいたのに、この女子医大のワーカーがグズグズするから超待たされて、おまけに柳原リハのワーカーは「中々ベッド空かないから」と言っていたが、女子医大退院後1ヶ月が過ぎた頃に流石にシビレを切らした妻が「もう1ヶ月ですよ ! 」と抗議すると、何とその場で次の週から入院が決まった。随分タイミング良くベッドが空いたもんだ

それでやっと2011年8月17日に柳原リハビリ病院に再入院する。6月29日に退院だから、まぁ7月に退院したとして、超待たされたと言っても1ケ月ちょっとじゃないかと思うだろうが、こんな身体での1ヶ月ちょっとはとても長い。ポンプが故障したのと入れ換え手術で入院が長引き、本調子じゃない状態が長く続いて、それまで出来てた事が出来なくなったから、本調子の状態に戻そうとリハビリ入院を希望したのに1ヶ月以上も待たされた。そしてやっと柳原リハに再入院。我が家では強化合宿と呼んでいた。強化合宿の目的は、身体を本調子に戻す事自宅でも何かリハビリ出来るような訓練をする事だ。

料理をやったり、椎茸も栽培したし、携帯ストラップを革で作ったりもした。そしてK.J、K.B嫌いの俺なのに、毎朝開かれる「お茶会」への参加。俺が高齢者達に混ざってお茶飲んでるなんて想像しただけでウケるだろ ? 何でかは判らないけど、スゴい心境の変化だと思わない ? 多分、次に話す介護士の影響があると思う。

さっき「ヘイル ! ヘイル ! ロックンロール」の事なんか誰にも判らないと言ったが、今回の再入院では介護士に一人判るヤツがいた。彼とはバイクの趣味音楽の趣味同じで驚いた。こんな事は非常に稀である。周りはK.J やK.Bばっかりなので俺は自分の趣味を諦めていた。

彼とは話しが尽きないが、そんな彼が何故、介護の仕事してるのか俺にはサッパリ判らない。同じ趣味を持ってるだけに疑問が増すばかりだ。誰でも直ぐ就ける職種ではなく学校に通って資格を取得しなければ出来ないし、見てるだけでも忙しくて大変な仕事だと判る。その割にギャラが良い訳じゃない(むしろ安い)から、余程、福祉の気持が強くないと務まらないと思う。そんな福祉の気持ちは俺にはこれっぽっちも無かったし今も無い。
それに彼だけじゃなくリハビリの先生も、この病院の職員達皆マジだ。その事に俺はマズ驚いた。俺の全く知らなかった、それまで関わった事が無い人種達がそこにいた「本当かよ ! 」と言う感じだ。それまでの俺は郷 ひろみの「男の子女の子」の変え歌「♪僕達ボケ老人、君達小児麻痺♪」などとよく唄っていた。でもここにはそんな歌を唄ってチャラける人は一人もいない。俺は相当チャラけてたんだと思う
妻に世の中には色んな人がいて動物園の飼育係を好んでやる人だっていると言われた。そう言われれば俺には絶対に無理だ。甲斐甲斐しく面倒看たって懐かれるとは限らない。そんな懐くかどうか判らない動物の世話なんて俺には絶対無理だ。懐けばカワイイと思うけど。実際、ネコ、飼ってたし。

ここでも妻は毎朝8:00時の朝食に間に合うように来てくれた。さらに毎日、俺が現在どんな訓練を受け、どんな成果があったかが判るように、俺の「リハビリ日記」を制作 & 関係者に送信してた。写真付きなのでレイアウト等もやっていた。

前にも言った通り入院患者だから毎日リハビリがあるが、手(O.T)、足(P.T)、だけで、言葉(S.T)、は無い。でも、俺と趣味が合う介護士と汗が出るほど一生懸命話したせいか、女子医大の医師にも、訪問のS.Tの先生にも、訪問のマッサージ師にも、そして極め付きは例のジジイ医師にも「言葉が随分ハッキリした」と言われた。耳の遠いジジイ医師までそう言うのだから余程ハッキリしたのだろう。以前、S.Tの I上さんが「これ以上の回復は望めません」と言ったのは何だったんだろう ?考えてみればいつも一方的に喋ってきて、俺はスポーツは嫌いだし興味も無いと言ってるのに、オリンピックの話しをペラペラしてきた。俺は完全に聞き役になってて「へぇーっ」とか「成る程そうなんだ」、だけしか喋ってない。って言うか喋らせてもらえなかった。それなのに「これ以上の回復は望めません」って言われてもねぇ・・・。その介護士の方がよっぽどS.Tに向いてるかも。







カツブログ-23/女子医大に再入院


「そろそろポンプの入れ換え時期だなぁ」と思っていたら2011年5月2日の朝、ベッドで目覚めるとポンプが止まっていた事を後で知った。掛け布団を引っ張ろうとしても上手く掴めないのだ。元々上手くは掴めないけど、いつもはもう少し上手く掴めるはずだった。それにいつも以上に身体が硬直(脛縮)してて、発熱すると以前からそうだったので「また熱っぽいのかな ? 」と思って体温を計ったら尋常じゃない高熱にビックリしたが、生憎、ゴールデン・ウィークの連休中なので何処のクリニックにも行けないし、特に風邪っぽい症状もなかったのでポンプの異常を疑った。でもポンプの異常ならアラームが鳴るはずと俺も妻も信じていたから半信半疑だった。それにポンプの異常だとしてもどうせ5月16日に女子医大に行くんだしと思っていた。念のため解熱剤とポンプの薬と同じ投薬を飲んだ。女子医大の緊急に電話して詳しく訊いたら、ポンプはアラームが鳴らない場合もあると言われた。それじゃあ発熱の原因がポンプの異常からなのかハッキリとは判らないが、こんな高熱はポンプの異常が原因としか考えられないので、ポンプの薬と同じ投薬を飲んでると伝えたら、それで良いとの事。パー車からベッドに移って足を伸ばすと足が激しく痙攣して、硬直(脛縮)の末に足がツルのが久々に始まった。これは俺にITBの手術を受けてみようと思わせた程の激痛で、久しくこの痛みが無く忘れてた。なので「ポンプが効いてたんだなぁ」と実感した。止まってみて、ポンプの威力が判った
          
5月16日にいつもの様にポンプの薬液を補充しに女子医大に行く。ポンプ内の薬液の残量を計算したらピッタリ5月2日に止まっていた事が判明した。面白い事にポンプが正常に動いてた時に覚えた事は、筋肉の動き等を身体が覚えてるのか、ポンプが止まっていても出来る。まぁポンプが正常に動いてる方が何でもやり易いけど、ポンプが止まっていても出来なくはない。実際、5月2日から交換手術する6月10日までは止まった状態でもそれまでと変らない生活してたんだから。
「ちょっと早いけど、入れ換え手術しましょう ! 」と言う事になった。

それでそのポンプの入れ換え手術で2011年6月6日から東京女子医大に再入院する事になり、ここからの文は女子医大で書いてる。

6月10日の手術も無事に終わって、手術も2回目ともなると、もう慣れっこで全然怖くない。まぁ少しは怖いけど。ましてや今回はたかだか交換手術だし。手術直後は食欲なんて湧かないと妻に言われたが、それは俺には真っ赤なウソだった。が、手術の当日は麻酔が未だ効いてて、何か食べると喉に詰まったりして危険なので、何も食べてはダメと言われて「ガビーン ! 」だったが渋々従った。でも翌日にはパー車に乗りまくって、昨日(手術当日)、何も食べれなかった分を取り戻すかのように腹一杯おやつを食べまくった。おかげで夕食を残す羽目になった。俺は手術の翌日にパー車を乗り回す行為は普通だと思っていたが、同室の人は皆、手術後3日してから車椅子に乗ってるし、食事もお粥からで、それが普通で俺が異常だと気付いた

女子医大でも一応毎日P.T、O.T、S.T、のリハビリが1単位(20分間)ずつあったけど、余りにも時間が短いのと、ここはやっぱりリハビリ病院じゃないから大した事は望めない
リハビリの後は売店で買い物。売店って言っても「ナチュラル・ローソン」だぜ。サスガっすねぇ。俺には目の毒の甘い物が一杯。基本的に病院の食事だけじゃ足りないので、食事にプラスする何か一品と朝食のパンを買う。それが毎日の日課だ。実に下らないが、入院生活では食べる事くらいしか楽しみがない

女子医大は流石は都心の病院だけあって俺が入院したどの病院よりも食事が良いのと美人の看護婦さんが多くレベルが高い。まるでルックスで採用してるみたいだ。目の保養になる
過去に入院した病院だと「美人も稀にいる」なのだが、ここ女子医大だと「ブスも稀にいる」感じだ。

ここでも妻はAM8時の朝食に間に合うように毎日来てくれた。
実際、余りにもオリジナルな事が多過ぎて、看護婦さんには無理だろう。妻にしか出来ないと思うし、俺も妻にしかやられたくない。人見知りだし。言葉が通じないし。
この病院は俺が今まで関わってきたリハビリ病院みたいに高齢者だけじなく若いヤツも多い。
皆、俺より若いヤツばかりだが、でも皆深刻な状態の若者ばかりだ






カツブログ-22/喫煙所の人々


柳原リハには基本的には高齢者しかいないので、KJ、KB嫌いの俺でも顔見知りになるのは、やっぱり高齢者だ。

入院中は、俺は3FのA棟の部屋だった。そのB棟に腰の骨を折ったとかでリハビリ入院してたバアさんと喫煙所で顔見知りになり、俺にしては凄く珍しく今でも手紙のやり取りをしてる。
このバアさんは車椅子では無く、歩行器で歩いてた。3FのB棟では何かの時に千 昌夫の「北国の春」を入院患者達が大合唱するのだが、このバアさんはモダン・ジャズが好きらしく「年寄りは誰でも演歌が好きだと思わないで欲しいわ」と言って、合唱が始まると喫煙所に避難してきて、俺達と仲良くなった。
バアさんは自分が年寄りのくせに年寄りが嫌いだと言ってた。バアさんの旦那が兄弟の借金の保証人になったらしく、離婚を考えてると言ってたが、この話しは何度も聞かされた。何で年寄りは同じ話しを何度も何度もするんだろう? このバアさんは薬の副作用の為か、時々、異常に強引になる。


それから入退院を何度もくり返すバアさんがいて、このバアさんとは特に親しい訳では無いのだが、余りにも頻繁に喫煙所で出くわすので顔見知りになってしまった。いつもドでかいシニア・カーに乗ってる。この病院では毎日、午後になると受付の隣にコーヒー・ガールが来てコーヒーが無料で振る舞われる。ガールと言っても随分昔のガールだけど
このバアさんは我が物顔でいつも無料のコーヒーの所にいて、俺達はコーヒーは飲まないって何度も言ってるのに、すれ違ったりして顔が会う度に「あなた達もコーヒー飲んで行きなさいよ」と言ってくる。なので俺は「コーヒー・ババア」と呼んでる。このバアさんの声は八百屋みたいなので、そのまんま「八百屋」とも呼んでいる。いつも「最近見掛けないなぁ」と思ってると何処からか八百屋の声がして「また入院してるな」とスグ判る。


結構面白いジイさんとも喫煙所で知り合った。面白いと言ってもやっぱり年寄りだから。このジイさんも割と何度も入退院をくり返してるが、基本的に老人ホームとここの柳原リハを行ったり来たりしてる。家に帰っても奥さんが惚けていて乱暴だから、老人ホームや柳原リハにいる方が良いそうだ。俺もいずれそうなるんだろうか ? 嫌だなぁ。
妻が病院の近所の商店街に食材等を買い物に行くので、ついでにジイさんの夕食に何かもう一品プラスする物を買ってきてあげてたが、病棟で禁止されたそうだ。食べ物くらい好きな物を食べさせてあげれば良いのに。今さら塩分制限とかしても意味ないじゃん。このジイさんも車椅子で、会う度に何か具合悪くなって行く。つい先日会った時は目がもの凄く悪くなってて、殆ど見えてない感じだった。


高齢者ばかりの中で、他に相当若い男の子とも喫煙所で知り合った。彼は20代なので、前に書いた「まだこれからの10代」に出てくる男の子達よりは年上で、高次脳機能障害は同じだが、彼の場合は脳の病気が色々重複してて、10代の彼等より複雑で重症だ
彼の弟は医師妹は福祉インテリア・デザイナーだそうで、当然、彼の障害がキッカケだ。
彼は俺の脳幹出血の事を調べたらしく、「普通は即死で、生き残っても90%が植物状態なんでしょ ? それなのにスゴいね ! 」。だから俺の事を「奇跡の人」って呼んだ。
彼は丁度入院してて成人式に出られなかったらしい。以前はお母さんも一緒に来てたみたいだけど、現在は一人で杖をついて最寄りの駅から歩いて通い(外来)の週一回のリハビリに来ている。だけどリハビリの成果が上がらない事で彼は悩んでいて、一度は「もう、や~めた ! 」ってなってしまったが、俺の病気の事を調べたのと俺の画像を見て、自分もヤル気になったって言ってた。再びリハビリする事をお母さんに話したら「あなたはヤル子だと信じてた」と言われたそうだ。
彼はお母さんが大好きだそうで、「まだこれからの10代」の彼は、来年は20歳だと言うのに、お母さんに「ババア ! 死ね ! 」と平気で言う。同じ「高次脳機能障害」でも偉い違いだ。最初は病気のせいだから仕方ないと思っていたが、病気は全く関係ない事が判った。




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若くして脳幹出血に倒れ、中途障害者となったカツの毒舌ブログ。

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