苺畑でつかまえて

カツ&サリー、闘いの記録

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カツブログ-50/介護



介護する側の事はその大変さが人々に徐々に認知されて来てると思う。まだまだ全然充分じゃ無いけど判り易いからなのか、少なくとも「介護は大変だ」ぐらいは人々に理解されてる。
マスコミも「介護する事がいかに大変か ? 」と介護する側の事ばかり報道してるし、何かの講演会みたいのでも介護する側の話が中心で、介護はいかに大変か ? とか介護のコツみたいな豆知識が論じられる事が多い。要するに「介護する側」の事は割と頻繁に取り上げられるが「介護される側」の事はマズ取り上げられない。殆ど皆無に等しいから、「介護される側」の「心情」とか「苦悩」等は人々に全く認知されてない
もしかしたらそんな事を一々言わなくても皆さん判ってるのかな ?

中途障害者の俺はそれまで自分の事は自分でやってたし、おまけに俺は器用だったから家電の配線もギターの修理も大抵の事は自分で何でもやってた。そんな俺が或る日突然何も出来なくなって、他人に介護されるのを余儀なくされる。俺にすれば身体が勝手に「余儀」なくされただけで、俺の気持ちは介護を望んだ訳じゃないし、他人に迷惑かけようと思った訳でもない
だいたい俺は、例えば道に迷っても番地と地図を頼りに自分で何とかしてきた。他人に訊くのは本当に最後の最後。そのぐらい他人に頼るのが嫌だったし、他人を巻き込む事に抵抗が在った。
反対に分からないとス~グ他人に訊く人がいるが、俺には信じられない事だ。
「少しは自分で何とかしろよ ! 」と思ってしまう。

元々、手取り足取り身の回りの世話を全~部、家政婦等にやって貰ってた人には介護も含めて他人に世話させる(される)事に抵抗は少ないのかも知れないけど、俺は元々、家政婦を雇える様な裕福な環境じゃなかったから家政婦にやって貰ってた訳じゃないし、さっきも言った通り自分の事は自分でしてた。

オシッコやウンコの後始末を「介護する側」は大変だし、本当は嫌だろうなと思うけど、「介護される側」は大変な屈辱で、凄く惨めな気持ちになる。俺の場合、妻にやって貰うのは流石に慣れたけど他人はまだまだ抵抗が在る。
40の「オチない話-1」の2番目の話「一番エラいのはウンコ」に出て来る「クック」なんて他人じゃ絶対イヤだ。チンポコを見られるだけでも恥ずかしいのに排泄物を他人に見られて、何とも思わない人なんているのかな ? 男の俺でさえこんなに恥ずかしいんだから、女性はいたたまれないだろうな。

↓こちらを参照
武久ぶくさんのブログ「とある中途障害者の発信!/脳卒中と女性」

「食事」も今でこそ介護箸で自分で何でも食べられるけど、最初は誰かに食べさせて貰ってた
それだって空腹に耐えられないから食べさせて貰ってただけで、
気持ち的には「誰かに食べさせて貰ってまで食べたくない ! 」と思ってた。

それは「歯磨き」とか「入浴」もそうだ。コレらは別にしなくても命に別状はない。ただ臭くて不潔なだけ。
でも考えてみれば幼少の時は歯磨きなんかしなかったし、しなくても平気だった。だから今にしてみれば俺は随分汚ったねぇガキだった。まさにK.Gだ ! 臭いとか臭くないは至極対外的な事だと俺は思ってるから一切誰にも会わないんだったら臭くても俺自身は全然平気。だから臭いと会った人に恥ずかしいのと、臭いで不快にさせない為のエチケットでしかない。

「介護する側」は余りにも忙しくて大変だから「介護される側」一人一人の「心情」や「苦悩」なんて一々考えてる余裕はないって言われそうな気がする。少なくとも老人ホーム等の介護施設は間違いなくそう思ってるはずだ。
勿論そんな事は無いって言うに決まってるけど。

介護で行なわれる項目は基本的に全て幼児プレイのメニューにも在るのでそう言う癖の人には堪らないのかも知れないけど、でも残念ながら俺にその癖は無い。でも「コレはプレイなんだ」と思った方が確かに気は楽かも知れない。ただしリアルだから一生終わらないプレイだけど・・・。

色々やって貰った「感謝の気持ち」だって今でこそ妻には感謝してるけど、最初は何て言うか上手く言えないけど「感謝の強要」とでも言うか、いつの間にか感謝しなきゃいけない事になってた感じで何か誰に対してもスンナリとは感謝出来ない。俺が望んだ事をやって貰ったんなら「ご苦労様」と思えるんだけど、例えば特殊な専門業者に何かの制作を依頼して、それが出来上がってくれば素直に「大変だったでしょ ? ご苦労様でした」と思えるんだけど、介護なんてそもそも頼んでないし、俺が望んだ事じゃない。なんて言うと「何て言い草だ ! 」って反感買いそうなのでもう少し詳しく理由を言うと、俺の身体が不自由になっちゃったから「仕方なく」介護されてるんで「喜んで」とか「望んで」介護されてるんじゃ無い。そもそも介護を必要とするそんな身体が嫌なんだから、全て「仕方なく」だ。だから誰かに親切にされても、「本当は自分でやりたいんだけど、こんな身体で出来ないから「仕方なく」親切にして貰う」んだ。そんなイジけた事ばっかり言ってたんじゃ一生懸命介護してくれてる妻に悪いとの気遣いからの「感謝」で、俺自身はあくまでも「仕方なく」だ。これは今でも変わらないな。

とにかく全ての事が余りにも突然で、心の準備も出来てないのに( こんな事を準備してる人なんていないだろうけど )この俺が介護だなんてダサイ事を受ける羽目になって、以前にも書いたけど今迄はどっちかって言うと他人に何かを「して貰う」より「してあげる」方が多かったから、「すいません」は「言われる側」だったのにいつの間にか「言う側」だ。だから今でも他人に頭下げる事に抵抗がある。自分で出来なくなっちゃった事を他人にやって貰うんだから仕方ないと判ってはいるんだけど、本来なら全て自分で出来る事で特殊な専門分野じゃないし、他人に頼まなくても良い事ばっかりなので余計に「こんな事「すいません」なんて頭下げる程の事かな ? 」と思えてしまう。

我が家では掃除と買物をヘルパーに週一で頼んでるんだけど、或る時、ヘルパーが扇風機を掃除しようとした時、「ソレ、前の部分外れるんですよ」って妻が言ったら「ドライバーで何処かのネジを回すんですか ? 」とヘルパー。そんな大袈裟な事をしなくてもその扇風機の前面の部分は手の平で押し回すだけで簡単に外れる。一々言葉で説明するのは面倒臭いし、それより自分が外した方が早いと思った妻が立ち上がりかけたら「アッ ! 外れました ! 」とヘルパーが言った。
この場合、それらの事が出来ない俺は事細かに一々言葉で伝えるしかない。焦れったくて、スゴ~く面倒臭いけど仕方ない
だから俺の文章が割と好評なのは間違いなくそう言う事が大きく影響してる。
上手くなるはずだよ。こんな事しょっちゅうなんだから・・・。


















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若くして脳幹出血に倒れ、中途障害者となったカツの毒舌ブログ。

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