苺畑でつかまえて

カツ&サリー、闘いの記録

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カツブログ-7/脳幹出血

今まで数多くのリハビリ施設や病院に関わって来た。
まず一番最初に運ばれたのは広尾病院だ。

忘れもしない2003年10月22日。(今から約8年前だ。)その日は朝から雨がシトシト降っていた。雨が降ってなかったらいつもの様にバイクの後ろに妻を乗せて青山に在る妻の会社まで送って行くはずだった。今思えば二人乗りして走ってる最中に出血してたら二人共死んでたかもしれない。

雨が降ってたから妻を送らず、俺はトイレに行った。そのトイレで異変は起きた。
俺にはトイレに携帯を持ち込む習慣があったから、身体に異変を感じて直ぐ妻に電話出来たが、トイレにまでは持ち込まない「不携帯」だったら死んでたかもしれない。

既に会社にいた妻が慌てて帰って来て、トイレで倒れてる俺を発見して妻が救急車を呼んだが、妻には最近「あの時、私に電話してないで救急車を呼んでたら今よりももっと軽い症状で済んでたかも」と言われたが、119はイタズラ防止の為かこちらの番号を訊いて電話をかけてくる。その時に俺の言葉が通じたか疑問だし、通じなくてもただ事じゃないのが伝われば来てはくれるだろうけど、その時には手遅れで死んでたと思う。

それまで大きな病気をした事が無かった俺は、最初、救急車で運ばれた時は「まぁ注射の3本も打てばその日の内に帰れるだろう」と思っていた。それがまさかこんな事になろうとは・・・。

広尾病院にたまたま宿直してたのが脳外科の医師で助かった。(違う科の医師だったら俺は生きてない)最初は何も聞こえないし、喋れなかった。不思議と妻の声だけは聞こえた。

肝心な事は全く聞こえないのに、何故か病室に有る水道で妻が手を洗う時ジャーと水を流すと、そのジャーという音がずっと耳に付く。もうとっくに手を洗い終わって、水も流れてないのに耳の中でジャーと聞こえる。肩が凝って、電動あんま機を使うとブーンという音がやはりいつまでも耳に付いた。病室の外のロビーではテレビの音がガンガン鳴ってたらしいのだが、俺には全く聞こえなかった。ストレッチャーでテレビの前を横切っても全く聞こえなかった。

それから不思議な夢を沢山見た。何処までが夢で、何処からが現実なのか判らない。俺のCD「エスキース」のライナーにも書いたが、死神みたいなのも見たし、顔が真っ黒な看護婦もいた。一番最初に運ばれた広尾病院のICUでは真っ裸の子供達数人が走り回ってドタバタうるさいので「うるさい!ここを何処だと思ってるんだ!」と、怒鳴った覚えがあるがこれは夢だろう。何故なら声が出る分けないからだ。でも凄くリアルだ。場所が場所だけに子供達の霊だったのかもしれない。

話を戻そう。目は何を見ても流れる感じで、焦点を合せても流れる。だから結局焦点は合わない。「こんな目に合うメガネがあるのかなぁ ? 」と、思ってた。

現在はソコまでは目は悪く無い。さっき言った通り老眼と乱視だ。



肺炎や膀胱炎にもなった。それまでそんな病気なんかした事なかった丈夫な俺は「ははぁん、そうか分かったゾ!どうやらこの病院は色んな病名を付けて俺を病人にするつもりだな!」と、思った。でも脳をやられると色んな所が弱るそうだ。

肩に何かの管を付ける時、麻酔無しで肩を切られても全く痛くなかったほど何も感じなかったのに(考えてみればいくら何も感じないとは言え麻酔無しと言うのは酷い話だ)膀胱炎の為、尿道に管を入れられた時は激痛で本当に天地が逆さまになった。その管を尿道に差し込みながら医師が薄笑いを浮かべてた。

この頃は鼻にも何かの管が入っていて凄く息苦しいのだが、耳鼻科の医師の承諾がないと勝手に引き抜けない。この耳鼻科の医師は広尾病院の医師ではなく、他所の病院から一週間に一度だけ広尾病院に来る。来るはずの日に何かの都合で来ないとまた来週になるのだが、俺の息苦しさがそれだけ長引くのだ。俺にしてみれば「えーっ!今日は来ないのぉーっ?!また一週間苦しい思いするのぉーっ?!」である。そう言う時の一週間は凄く長い。

現在は普通に聞こえるがこの頃は基本的に何も聞こえず、この耳鼻科の医師には「一生このまま聞こえないかも」と言われた。

最初は喋れなかったし、出来るのは「Yes」と「No」の首振りだけだったので妻との会話は平仮名の50音のボードを使った。ちょっとした事を伝えるのに凄く時間が掛る。焦れったくて仕方ないが、それしか意思を伝える術がない。その50音のボードを使って看護婦に「バカ」と言った事がある。看護婦はまさか自分が「バカ」と言われるとは思ってないから、一生懸命「コレ ? 」と文字の指差しをくり返してた。

面会時間はAM10:00~PM09:00迄で、妻は毎日来てくれた。それとその頃の俺は寝てると無呼吸になるみたいで、気付くといつも何かの注射を2、3本射たれ、「戻って来ーい!」と、医師の声が聞こえ、俺は全身汗ビッショリで看護婦数名に囲まれてる。そう言う時は決まって妙な夢を見る。こんな事が毎晩続くので、俺は眠るのが怖くなって、精神安定剤と睡眠導入剤を注射してもらうが、すると妙な夢が中々覚めず、医師の「戻って来ーい!」に戻れないのだ。やっとの思いで戻るといつも以上に汗ビッショリなので、睡眠導入剤を止めた。

自分の手や足に、見た目とは違った感覚が在る。妻に「俺の手は ?」と、訊くと「これでしょ」と、俺の手を触る。(その頃は当然、感覚がないので触られても判らない)俺は「それも確かに俺の手だけど、本当の俺の手は今ここにある」と、布団の中から本当の手を懸命に出そうとするが出る訳が無い。

本当の足がベッドに挟まれた事もあった。でも痛みは全く無い。痛く無いはずだよ、そんな足、最初からないんだから。



この感覚の異常は未だに少しある。
寝てる時に頭を掻こうとした時等に俺が思ってもみなかった方向から腕が出てくる事がある。

つまり今、腕が何処に在るのか判らないのだ。




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Comment

やはりわかっている

怖い話です。
でも私は知らなければいけない。
主人の思いを。
主人は重症だけれど、Katsuさんの方がもっと重症だったのだろうか? そんなことまで思います。

絶対主人が「ずっとこのまま」を聞いていたことを確信しました!
あの医師は許せません!v-22

携帯電話

私は外出するときも面倒なので携帯電話を家に置いて出る傾向にあります、これからは持って出るようにします。

リアルです。

目の風景が流れる感じよく覚えています。I CUではかつさんも見られたんですね!誰に話しても信じてもらえません。私も最初声が出なかったので、50音のボードで意思伝達しました。未だろれつがひどく会話しずらいです。なぜか私もトイレのあとおかしくなりました。

病歴

俺の発症も、2003・9・9(救急の日)

病歴は一緒ですね・・・もちろん病状は違います。

12月25日まで1回目の入院をしたが、
死にかけていたので、カツさんほど、鮮明に
覚えていません。

話しが変わりますが、今年・・・8月に駅のトイレで
倒れました。 もちろん駅のトイレには非常ベルは
付いていません。 目が回る中、やはり妻に電話しました。

妻から駅に電話があり、駅員さんが3人来て、
程なく俺はトイレから救出され事なきを得た。
やはり行動は・・・同じ事を考えるものです。   のあ

コメントのお礼

katsuです。冒頭にも書いた通り、文章を書き上げるのは2年もかかっています。コメントくれた一人一人にお礼を書くのは、僕には大変な事なので申し訳ないけど、纏めて言わせていただきます。皆さん有難うございます。順次UPして行くので宜しくです。

手足はどこ?

私も自分の手足がよく確認できませんでした。
カツさんのお気持ち少しだけ解りますよ。

カツさんはさすが芸術家の感性ですね。

katsuさん、
katsuさんの、文章に引き込まれていきます。
淡々と、倒れた時からの経過を語られて
ここまで回復できた道のりを思うと言葉がありません。。

良く覚えていられますね。
それに文章もよどみなくて、正確。頭脳はやられていませんね。

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若くして脳幹出血に倒れ、中途障害者となったカツの毒舌ブログ。

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