苺畑でつかまえて

カツ&サリー、闘いの記録

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カツブログ-9/制度!制度!制度!


一週間くらいは安静だったが割と直ぐリハビリが始まった。

でも広尾病院は救急病院でリハビリ病院じゃないので、一ヶ月くらい広尾病院に入院して、リハビリの専門病院に転院した。それも良くなる見込みがある人しか受け付けない事で有名な敷居の高い東京リハビリテーション病院(東リハ)に2003年11月28日に転院した。広尾病院には東リハは審査が厳しいから無理だと言われた。なので何故、東リハが俺を受け入れたのか理由が分からない。

転院当初は引越する前で、まだ「恵比寿」に住んでいたから妻は毎日AM05:30には起きて07:00の朝食に間に合うように来てくれた。口から普通の食事が食べられる様になっても、俺は看護婦に食べさせてもらうのが嫌だったから。その後東リハの最寄りの「鐘ケ淵」に引越してからも毎日AM06:30には起きてたそうだ。PM09:00の消灯まで付き合わせた。引越は俺が入院中に行われたから俺は全くノータッチ。退院後、俺の家が「恵比寿」から現在の「鐘ケ淵」に変わってた感じ。

この東リハに来てからベッドの上半身を倒して普通に横になって眠れる様になった。つまりそれまでは普通に横にもなれなかった。それまでは常にベッドの上半身を起こした状態で寝ていた。

それから俺のCDエスキースのライナーにも書いたが、ソーシャル・ワーカーと名乗る女性を筆頭に色んな人が次々に現れて、ただでさえ人見知りだから知らない人に会うのは苦手なのに、そんな人達の話しによると俺は身体障害者らしい。心の準備も出来てないのに知らない人達からいきなり「あなたは障害者です」と言われてもピンと来ないし「あなたはゴキブリです」と言われたような嫌悪感。「えぇーっ ! 俺が障害者 ! 」と言う感じ。一番とは言わないが、障害者と言う人種を上か下かと言えば間違い無く下だ。そんな下まで転落して行くような気持ち。まさに奈落の底に突き落とされた感じで、とても受け入れられない。

でも障害者として障害者手帳を受け取らないと介護サービスが受けられなくなってしまうし、介護用品がレンタル出来なくなるので嫌悪感を感じながらも障害者手帳を受け取った。


「急性期」と呼ばれる変な制度がある。
倒れて救急病院に運ばれてから二ヶ月以内が「急性期」と呼ばれ、その二ヶ月以内にリハビリ病院に転院しないとリハビリ病院に転院出来なくなってしまうから、身体中に管が付いた状態であろうが、まだ意識が戻らない状態であろうが二ヶ月以内にリハビリ病院に転院しなければならない。

俺は運良く意識があってリハビリ病院に転院できたが、意識が戻っていない状態でも二ヶ月が過ぎると「ハイ ! 急性期は終わりました」と言われてしまい、リハビリ病院に転院出来なくなってしまうのだ。

この「急性期」って言う制度は、人それぞれの病状とは全く関係無く、たったの二ヶ月間の期間の事なのだ。おまけにこの「急性期」ってヤツは事故には適用されない。事故で脳卒中と同じ場所が損傷して同じ病状だったとしても、意識が二ヶ月以上戻らなくても何の問題も無く意識が戻ってからゆっくりリハビリ病院に転院出来る。二ヶ月間の猶予にアタフタさせられるのは脳卒中とかの病気の人とその人の家族だけ。 

それからまだ口からは何も食べられない人は鼻から管で栄養補給(経鼻経管栄養と言う)するのだが(俺もそうだった)、身体の胃の所に穴を開けて管から胃に直接栄養を補給する「胃ろう」と言う手術がある。この手術をする人は基本的に口からは何も食べられない人で、経鼻経管の人は訓練次第で口から食べられるようになるかもしれないのに訓練する以前に「経鼻経管」の人はお断り、「胃ろう」の手術済みの人に限る」と言うリハビリ病院がある。

何でかと言うと要するに面倒だからとか食事時は看護婦が足りないからとかの病院側の下らない理由。そんな理由で手術しなきゃいけないなんて・・・と思う。
でも二ヶ月以内に転院しないと転院出来なくなってしまうと急かされたら・・・。


せっかく敷居の高い東リハに転院出来ても、いられるのは三ヶ月間と制度で決まってる。
その三ヶ月でなるべく家族の負担が少なくて済む様に様々な訓練をするのだが、例えば痰を自分で出せないと家族が吸引機を使って吸引する事になる為、家族が吸引の仕方を覚えなければならない。なので妻も吸引の仕方を教わってたが、幸い俺は三ヶ月以内に自分で出せる様になったから吸引してもらう必要は無くなったし、何でも食べられる様になったから流動食を作ってもらう必要も無くなったけど、そうならなくても三ヶ月で追い出される。出来る様になるまで居られる訳じゃない。

2004年3月17日(2003年に入院したのに退院したのは2004年なのは入院中に病院で年越ししたって事)に東リハを退院。「退院」と言えば聞こえは良いが要するに「追い出し」だ。入院中は毎日あったリハビリも退院した途端、通い(外来)の週一回のリハビリになる。急にこんなに少ないんじゃ良くなるもんも良くならない。これが現状だ。


以前よく、先輩とかに言われたんだけど「お前のその出で立ちで飲食店に行って何の問題も無い ? 俺がもしも飲食店をやってて、お前みたいな出で立ちのヤツが来たら絶対料理にイタズラするよ」と同様に、東リハでリハビリと言うものが始まった時から、色んなリハビリ病院やリハビリ施設等でリハビリの先生に感じたんだけど、リハビリの先生になる様な人達は、俺みたいな人種は嫌いだろうな。凄く真面目な人が多いし、悪く言えばクソ真面目でダサイ。俺がこうならなかったら絶対知り合わないだろう人達。だから内心「ザマミロ」と思われてる気がして。



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Comment

あれはなれるまで痛い!

鼻から管通して胃の中にあのどろどろのやつ嫌でしたわ~(笑)あの障害が残りますと言われた時のショックは嫁に逃げられてた時より遥かにショックでした。かつさんの先輩のたとえおもろいですね!京都にあるライブハウスにいたモヒカンの兄ちゃん中央市場に魚仕入に来てて度肝抜かれた時があったんですがその事を思い出しました。

おはようございます。

障害者と受け入れるのに、俺は2年以上費やしたと
思います。 当初は「障がい者」と俺は記していました。
「害」というイメージがゴギブリのようでした。
俺は「害虫」ではない! と心で叫びました。
しかし・・・やたらと「障害者優先・・・」と目に付きます。
世の中が、俺を障害者と識別されているようでした。

脳梗塞後、大学病院のリハビリに通院できるのは
6ヶ月間。 国の方針です。 続けたければ介護認定
を取る必要がありますが、俺はこの身体で就職を考えて
いたので、認定は取りませんでした。 だから考えたのが
接骨院です。 麻痺で硬縮していく筋肉を「痛み」として
病名をつければ、保険が通ります。 以後接骨院に
定期的に通うことになります。 ちなみに障害者で
難病なので、収入が無ければ、医療費はすべて控除
されます。 始めて国の制度がありがたいと感じました。

今は、障害者と書けますし言えます。 何故急に変わったかは
いづれ・・・。  国の制度に憤りを感じたり感謝したり・・・
病いを抱えると言う事は、想像以上に厳しいです。  のあ

コメントのお礼

ならずものさん
のあさん

コメントくれた一人一人にお礼を書くのは、僕には大変な事なので申し訳ないけど、纏めて言わせていただきます。いつも有難うございます。順次UPして行くので宜しくです。

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若くして脳幹出血に倒れ、中途障害者となったカツの毒舌ブログ。

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